邪馬台国論争 キリストの墓⑥ 「十来塚と十代墓」

 

 

 

【 序 】

青森県の新郷村にあるイエス・キリストの子孫だと伝承される沢口家の土地に2つの盛り土があり、その上に十字架が立てられている。右がイエス・キリスト、左が弟のイスキリ(Isukiri)の墓だとされる。ではイエス・キリストの子孫が、なぜ沢口なのだろう?

  • 沢口 ⇒ 三 + 尺 + 口 ⇒ San + Shaku + 霊 ⇒ Sun + Shaka +霊 ⇒ イエス・キリスト釈迦の霊

ここでのSun(太陽)を磔刑のイエス・キリストの象徴(ルカによる福音書23章44~46節)だと考えれば、沢口は「磔刑のイエス・キリスト釈迦の霊の融合」の象徴となり得る。

時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。 そして聖所の幕がまん中から裂けた。 そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしのをみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

このことは「漢委奴国王」の金印が志賀島から発見された事とも符合する。私措定だが、金印はイエス・キリストの、そして志賀島は釈迦の世界の象徴であり、意味としては釈迦の教え(仏教)の中にイエス・キリストの教えを埋め込んだということ。これだと大乗仏教、新約聖書はなぜ成立し得たのか?と言う疑問に対する答えとも繋がってくる可能性があるように思う。

  • 「漢委奴国王」の金印 ⇒ 磔刑から救われ、光武帝の元に渡ったイエス・キリストの象徴
  • Shika SimaShaka + ismi釈迦 + 9(19.13)9 9(32 + 釈迦)9⇒ 釈迦 の(no) 世界
  • 志賀島に埋められた金印 ⇒ 釈迦の教えとイエス・キリストの教えの融合 ⇒ 大乗仏教?

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【 イスキリの墓 】

イエス・キリストの墓の隣にあるのが、イエスの身代わりとなり十字架で亡くなった、弟のイスキリの墓だとされる。しかし磔刑後にイエスは弟子たちの前に姿を現し、その傷口をお見せになっており(ルカによる福音書24:39、40)、聖書の記述からは「イスキリ身代わり説」はあり得ないように思える。

わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。24:40〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕

ではイエス・キリストの隣にある墓(十代墓)に眠るイスキリとは何者なのか?が問題となるが、直感レベルとしてはイエスの妻、つまりマグダラのマリアの墓ではないの?と言う気がする。これだとイスキリ=マグダラのマリアということになる。マグダラを英語ではなくローマ字表記して単純に数値化をすると"66"を示す。"66"は聖書だとヨハネの黙示録の象徴となり得、かつ神武天皇とも繋がってくる。

  • Magudara 13.1.7.21.4.1.18.1  ⇒ 66
  • 神武(Jimmu)10.9.13.13.21   ⇒ 66
  • ヨハネの黙示録 ⇒ 66番目の聖書

神武天皇の后は、古事記では伊須気余理比売イスケヨリヒメ(Isukeyorihime)とされるが、この名前にはイスキリ(isukiri)が隠されている。

数値換算の上からは、神武天皇とイエス・キリストは繋がり、ローマ字名からはイスケヨリヒメとイスキリが繋がってくる。このことはイスキリがイエス・キリストの妻であり、それはマグダラのマリアである可能性を示している様に思える。そしてそれを繋げているのが、ヨハネの黙示録であるように思う。