倭の五王 「讃と珍」

 

 

【 序 】

中国史書に倭国に関する記録が存在しない空白の期間(通説では3世紀中頃からの150年間ほどとされます)があり、その期間を経た後に倭の五王が倭国に関する記述として中国史書に再登場します。その倭の五王の名前はさんちんせいこう」ですが、日本の記紀における歴代天皇の誰に該当するかについては諸説あり、はっきりしないとされます。では中国はこの5人の倭王になぜ「讃・珍・済・興・武」という名前を付けたのか?を以下で推理してみたいと思います。

(梁書倭国伝)復立卑彌呼宗女臺與爲王。其後復立男王、並受中國爵命。其後復立男王、並受中國爵命。晉安帝時、有倭王。賛死、立弟。彌死、立子。濟死、立子。興死、立弟

⇒青地と赤字の間が、空白の期間とされます。この空白期間の始まりは、クシャーナ朝の滅亡(実質的滅亡251年、完全な滅亡351年と関係があるのでは?と思っています。

画像と記事は関係ありません

 

【 光武帝とイエス・キリスト 】

過去記事で、「磔刑により仮死状態にあったイエス・キリストを蘇生させたのは、後漢の光武帝とクシャーナ朝の協働であり、復活したイエス・キリストはその後に光武帝の元(洛陽)へ政治亡命し、さらに西暦57には倭の奴国へ渡った」と措定しました。この措定だと中国(光武帝)クシャーナ朝倭国は、イエス・キリストによって結び付いていたと考えられます。つまり中国にとって倭国とは、光武帝が救助したイエス・キリストを、委ねた国であると言うことです

  • 志賀島で発見された「『漢委奴国王』の金印」を「漢は(金印=イエス・キリスト)を奴国王に委ねる」と読む

 

【 倭の五王 】

<五王を繋げて>

「讃さん・珍ちん・済せい・興こう・武ぶ」を繋げて、ヘボン式でローマ字化し、その3種ゲマトリアを見ると同じ数値を示すものに「イスラエル国」があることが分かります。

このことはゲマトリアの上からは、倭の五王がイエス・キリストの磔刑地を象徴し得る事を意味します。

 

<讃と珍>

讃と珍は兄弟だとされていますので、2人を繋げて見てみます。

① ヘボン式

讃・珍と同じ数値を示すものに"Moshiac"があります。

"Moshiac"には、メシア、救世主(Messiah)の意味がありますので、讃・珍はゲマトリアの上からは救世主の象徴となり得ます。

 

② 訓令式

訓令式でローマ字化すると、その単純数値化(simpleゲマトリア)が"77"を示し、"77"はキリストを象徴し得ます。

  • San Tin:19.1.14.20.9.14⇒77
  • Christ:3.8.18.9.19.20⇒77

また讃・珍の3種ゲマトリアと同じ数値を示すものに"Tola'ath"があります。

  • San Tin  280      462      77
  • Tola'ath  280      462      77

Tola'athは詩篇22:6に記述される「虫けら(worm)」のヘブライ語です。

しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。

個人的にはここでの虫(Tola'ath)はイエス・キリストの暗喩?のように思えます。

いずれにしても、倭の五王の讃・珍の2人は、ゲマトリアの上からはイエス・キリストの象徴となり得るように思います。

 

撮影 神戸どうぶつ王国 画像と記事は関係ありません

 

長くなりましたので、残りの「済・興・武」の3人の王については次回の記事で書きたいと思います。