邪馬台国論争 キリストの墓① 「三戸と戸来」

 

TBSスパークル1966年1月8日

「戸口にはダビデの紋章を型どった星形紋と

十字架を型どった菱形の紋があります。

これがキリストの子孫である沢口三次郎さんの家の紋です。」

 

 

【 序 】

ゴルゴダの丘で磔刑に処されたはずのイエス・キリストが、実は日本に渡来し日本で亡くなり、その墓も日本に在ると言う説があります。墓のある場所は「青森県三戸(さんのへ)郡新郷(しんごう)村大字戸来(へらい」だとされます。

 

過去記事で「磔刑後に仮死状態から蘇生したイエスは、中国の光武帝の元(洛陽)へ政治亡命し、その後さらにクシャーナ朝へ、そして更に西暦57年に倭奴国へと渡った。」と措定しました。倭奴国と現在の日本が密接に繋がっていたことは、中国の史書が伝えていて、例えば、宗書に「日本國者、本倭奴國也(日本国は本は倭奴国であった)」とありますので、イエスが西暦57年に倭奴国へと渡ったと言う措定の下では、イエスの墓が日本に在っても不思議ではないと考えられます。このことを念頭に置いて、「イエス・キリストの墓は青森県の戸来にある説」について考えてみたいと思います。

<参考:倭国、倭奴国と日本に関する中国史書の記述>

後漢書:建武中元二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬(注:建武中元二年は西暦57年。この年にイエスはクシャーナ朝から倭奴国へ渡った、と言うのが過去記事での私措定です)

旧唐書:倭國者、古倭奴國也。

旧唐書:日本國者、倭國之別種也。

新唐書:日本、古倭奴也。

宋史:日本國者、本倭奴國

 

画像と記事は関係ありません

 

【 三戸と戸来 】

イエス・キリストのものだとされる墓のある「新郷村」は、かつては「戸来(へらい)村」という地名だったとされますので、墓の所在を「三戸郡戸来村」として、「三戸(さんのへ)」と「戸来(へらい)」という名前について見てみます。

 

<三戸(さんのへ)>

三戸と同じ3種ゲマトリアの数値を示すものに、ペンタクル(5つの点をもつ星)、つまり五芒星がある事は注目に値します。

戸来村にはイエスの子孫だとされる沢口家があって、そこの家紋が五芒星だとされます。また貼り付けたビデオでは、この時点での当主沢口三次郎氏は「瞳も青色で髪の毛も茶色」だとナレーションされています。「五芒星はイエス・キリストが磔にされたときに受けた5つの傷(両手と両足の釘と脇腹の槍の傷)を表していて、古代ではキリスト教のシンボルとして使われていた。」と言う説があります。三戸という地名は、磔刑のイエス・キリストを象徴し得るもののように思えます。

 

戸来(へらい)>

戸来(へらい)は「古代イスラエル人の別称であるヘブライに由来する」という説があります。戸来はローマ字化すると”herai”ですが、クシャーナ朝の最初の支配者がヘライオスHeraiosです。彼の治世は西暦元年~西暦30年で、イエス・キリストの生誕から磔刑までとぴったり一致しており、ヘライオスはイエス・キリストを投影させた王であったように思えます。戸来”herai”という地名は、ヘライオス”Heraios”を意識したものであった可能性があります。この事はクシャーナ朝と倭奴国と日本が、イエス・キリストを介して繋がっていた可能性をも示している様に思えます。

 

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以上から、「イエス・キリストは日本で亡くなり、その墓は青森県三戸郡のかつての戸来村にある」と言う説は、検証する価値は十分にあるように思えます。