倭の奴国王とクシャーナ朝⑤ 「イエスとクシャーナ朝④」
【 序 】
イエスの磔刑とその後に関して、前回までの記事の概略をまとめます(あくまで私措定です)。
- 西暦30年、十字架刑の仮死状態から蘇生したイエスは、光武帝の元(洛陽)へ政治亡命した。
- 西暦50年頃イエスの身柄は落陽からクシャーナ朝へ移った。クシャーナ朝の初代皇帝クジュラ・カドフィセス(丘就卻)は、イエスを強く象徴している。
- 西暦57年イエスは、光武帝の承認の元でクシャーナ朝から、倭の奴国王へ委ねられた。その証が博多湾の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印である。
以上を念頭に、クジュラ・カドフィセス"Kujula Kadphises"と言う名前が何を象徴し得るのか?を見てみたいと思います。
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【 クジュラ・カドフィセスが象徴するもの 】
クシャーナ朝の初代皇帝クジュラ・カドフィセスを、”Kujula”と“Kadphises”に分けて、そのそれぞれについて3種ゲマトリアを見てみます。
<Kujula>
“Kujula“と同じ数値を示すものに、“Low god“があります。
検索すれば、”Low”は「低い」の他に、「〈緯度が〉低い、赤道に近い」と言う意味がある事が分かりますので、“Kujula“は「赤道に近い神」の象徴となり得ます。このことはクジュラ・カドフィセスがクシャーナ朝の王であるとともに、赤道に近い国の神でもあった可能性を示しています。
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中国の史書には幾つか倭国の位置に関する情報があり、梁書と旧唐書の記述を見てみます。
<梁書>
倭者・・(略)・・去帶方萬二千餘里 大抵在會稽之東 相去絕遠。
倭は・・(略)・・帯方を去ること万二千余里、会稽の東にあって、とてつもなく遠いところである。(私訳)
<旧唐書>
倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中。⇒京師は(長安:現在の西安)
倭国はかつての倭の奴国であり、それは長安から万四千里の新羅の東南・大海の中にある。(私訳)
魏志倭人伝と同様に1里を434mと考えて計算してみます(時代誤差はあるかもしれませんが、検索した結果では大きくはブレないと思います)。梁書では倭国は帶方(朝鮮半島の中部西岸)から5200km(434m×12千)の、旧唐書では長安から6076km(434m×14千)の距離にある事になります。この2つの条件を満たす場所を、Google Mapで探すとパプアニューギニアの東側がそれに該当すると思われます。そしてパプアニューギニアは赤道に近い国だと言えます。
可能性の問題になってしまいますが、クジュラ・カドフィセスのように歴代のクシャーナ朝の王が赤道に近い国の神(王)でもあり、かつ中国の史書が記述する倭国も赤道近くの島国であったとすれば、クシャーナ朝の王が倭国の神(王)でもあった可能性が考えられます。そしてパプアニューギニアが、倭の主要な国であったように思えます。(ただし、あくまで推測による私措定です)
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