邪馬台国論争 「邪馬台国の名前の由来」
【 序 】
前回の記事で仮説として、「卑弥呼は実体としてはクシャーナ朝のカニシカ2世であり、邪馬台国とはカニシカ2世が南洋諸島のどこかの島に建国した国家である。したがって卑弥呼の擁立と、カニシカ2世の即位とは同じ年度である」と措定しました。この措定を元に、カニシカ2世はその国をなぜ邪馬台国とし、倭や和(ヤマト)という概念を生み出したのかを推理してみたいと思います。
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【 邪馬台国の語源 】
カニシカ2世の即位は230年頃とされます(wikipediaクシャーナ朝)ので、上述仮説の元では卑弥呼の擁立および邪馬台国の建国も230年頃となります。西暦230年は魏の元号だと太和(たいわ)4年になります(wikipedia太和 (魏))。「和」を「ヤマト」と読めば「太和」は「タイ・ヤマト」となり、これを右読みすれば「ヤマト・タイ」となり、これを約めれば「ヤマ・タイ」となります。また「倭」、「大和」は「和」から転じたものだと考えられます。
以下、5行追記(20240118 19:52)
太和(たいわ)の3種ゲマトリアを見ておきます。
- taiwa 1011 324 54
Hebrew Gematriaが"111"(0は無視できます)を示していることが分かります。"111"は三位一体や三身の象徴となり得る重要な数字ですので、このことが邪馬台国の名前を決める一因となったのかもしれません。
【 結論 】
仮説を前提とした上での、全くの推測ですがここでの結論をまとめてみます。
- 邪馬台国(ヤマタイ・コク)の語源は、卑弥呼の擁立および邪馬台国の建国年度(230年)における、中国の元号である太和(たいわ)である。
- 太和(タイ・ワ)⇒タイ・ヤマト⇒ヤマト・タイ⇒ヤマ・タイ⇒邪馬台(国)
- 倭、倭国、大和、和も、その由来は中国の元号である太和の和である。
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補足
ヴァースデーヴァ1世(波調)は、229年に魏から親魏大月氏王の称号と金印が贈られたというのが定説となっています。その親魏大月氏王の称号の根拠としては、魏志倭人伝に次の一文を見ることができます。
しかし波調が魏から金印を贈られたという記述に関しての根拠を、特定することは出来ませんでした。波調は親魏だけでなく、金印も本当に魏から贈られたの?が疑問として残ります。
定説では魏の癸卯は西暦229年だと解釈されています。一例のみ引用します(wikipedia 3世紀)。
229年 - 大月氏王波調(クシャーナ朝の王ヴァースデーヴァ)の使者が魏の明帝を訪れる。
波調は「親魏大月氏王」に任じられる。
ここでは魏の癸卯を西暦229年だとされてれます。しかし「魏 癸卯」で検索(wikipedia黄初)すると、それは229年ではなく223年(魏・文帝の黄初四年)であることが分かるかと思います。
調査不足、勘違い等があるのかもしれませんが、クシャーナ朝の王ヴァースデーヴァ(波調)の親魏大月氏王の称号と金印に関する定説には、少し疑問を感じています。