隋書・俀人伝 「倭と俀」と「天照大神と阿每多利思比孤」

 

 

【 倭と俀 】

三国志など中国の史書における「わじん」や「わこく」には、「倭」という漢字が使われていますが、「隋書」と「北史」に限っては」という漢字が使われています。過去記事で「倭」は、西方渡来人の氏、およびイエス磔刑の場面と関連の深い漢字だと措定しています。

  • 秦 ⇒ "三"+"人"+"ノ"+"十"+"人"⇒十字架上の三人(イエスと左盗、右盗)
  • 秦氏創建の稲荷⇒INARI⇒INRI(十字架上の銘板)+A(十字架上のイエス)
  • 倭⇒"人"+"ノ"+"十"+"人"+"女"⇒ 十字架の人+女人 ⇒ 十字架のイエス(と左盗、右盗)の足下の女

イエス磔刑の時、イエスの足下には三人の女性がいたとされ、それは三人のマリアだとされます(三人のマリアで検索すれば幾つかヒットします)。この三人のマリアの正体については必ずしも明確ではありませんが、「聖母マリア、マグダラのマリア、そしてヤコブの母マリア(あるいはクロパの妻マリア)」だとされているようです。以上を前提に「隋書」と「北史」がなぜ「倭」ではなく「」を使ったのか?を推理してみます。

  • 俀⇒"人"+"ノ"+"三"+"女" ⇒ 三人の女

「隋書」と「北史」が「俀」の漢字を使ったのは、倭国が十字架のキリストの足下にいた三人のマリアと繋がる国であることを示したかったからでは?と思ったりします。いずれにしても倭国/俀国はイエスの磔刑および秦氏と関係の深い国であったように思えます。

 

撮影 2023.11.20 箕面市

 

【 俀王・阿每多利思比孤 】

「隋書」に阿每多利思比孤(あまたりしひこ、又はあめたりしひこ)という名前の俀王が記述されています。(訳は私訳)

開皇二十年、王姓阿每、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕。

開皇二十年(600年)、王の名前は阿每字多利思比孤(あまたりしひこ)で、号は阿輩雞彌(おほきみ)が、遣使し隋の宮城に詣でた。

この阿每多利思比孤(あまたりしひこ)に付いてみてみます。

  • Amatarisihiko ⇒  Amarasiki+tiho阿摩羅識+ tiho

阿摩羅識(仏性と言ってもいいのかもしれません)は、天台宗など唯識(5文字追加、2文字削除)説く、清浄無垢なる無意識のことです(Tihoは機会があれば詳しく書きたいなと思っていますが「千穂」、もしくはho+ tiで「止まれ!末那識」、hitoとすれば「人」の意味かな?と思っています)。結論としては俀王・阿每多利思比孤とは、第九番目の心である阿摩羅識を象徴する名前のように思えます。

 

ここで思い浮かぶのが天照大神です。

  • AmaterasuAmara + setu阿摩羅 + セツ

セツは聖書に登場するアダムとイブの第3子のセツ(ヘブライ語: שֵׁת, 現代ヘブライ語: Šet)の象徴のように思えます。主神として日本神話に登場する天照大神も、清浄無垢なる無意識である阿摩羅識(仏性)の象徴のように思えます。(過去記事を参照下さい

阿摩羅識(天台宗などが説く唯識的な思想(10文字追記))といえば聖書とは無縁のように思えますが、個人的には唯識思想とは聖書の中の心に関する部分を体系化したものではないのかな?と思っています。なお日蓮大聖人の言葉に「九識心王真如の都」がありますが、ここでの九識は阿摩羅識のことかな?と思います。阿摩羅識は心の王であり、そこは絶対的な真理(真如)の都であるという意味なのかもしれません(自信ありませんが)。天照大神(阿摩羅識)とは人びとが帰還すべき、清浄無垢なる世界(真如の都)の象徴のように思えます。

 

撮影 2023.11.20 箕面市