稲荷“INARI”信仰について その12 「マニ教と稲荷の白」

 

 

【 序 】

マニ教信者は選良者聴講者に分かれていて、選良者は男女共に「白い衣服」をまとっていたと言います。一方稲荷神社に祭られている狐の多くは白狐です(伏見稲荷大社の境内には白狐社があります)。この白い衣服をまとったマニ教の選良者と稲荷信仰における白狐について考えてみます。

 

2022.11.24 中山観音須磨寺 画像と記事は関係ありません

 

【 白の意味 】

<狐の意味>

稲荷信仰における狐は神の眷属、使いだとされます。狐は過去記事でゲマトリア等により、数値の上では人間の象徴となり得ることを見ています。

  • ヨハネの黙示録13章18節:人間を示す獣の数字は666
  • 阿頼耶識AlyavijnanaのEnglishゲマトリアは666(阿頼耶識は人間存在の根底)
  • 狐Fox(6.15.24)と言う獣の数字は666
  • 結論 狐(666)は人間(阿頼耶識・666)の象徴となり得る

<白の意味>

残る問題は「白」が何を意味しているか?と言うことになりますが、"white"のアナグラムに”Hew Ti”があることは重要かもしれません。

  • White ⇒ Hew Ti

“Hew”には「切る、たたき切る、切り倒す」などの意味があり「”Ti”はドレミファソラシド8音の第7音の”シ”」です。”Ti”をドレミファに限定せずに「八の中の第七番目」の意味に解したとき、”Ti”は「悟りを得ていない人間の八つある心の働きの内の第七番目の心の働き、すなわち第七末那識」の象徴となり得ます。以上からWhiteは「末那識を切り倒す」ことの象徴となり得ます。

 

2022.11.24 中須磨寺須磨寺 画像と記事は関係ありません

 

【 末那識とは何か? 】

末那識の意味については検索すればたくさん出てきますが、"wikipedia"から少し引用しておきます。

末那識(まなしき)とは、阿頼耶識を所縁(=対象)とする識である。また、眼、耳、鼻、舌、身、意という六つの識の背後で働く自我意識のこと。・・・染汚意(ぜんまい)ともいう。

末那識は常に第八識を縁じて、自我という錯覚を生じる。

我法二執の根本である。

・・・・根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

ここで重要なのは末那識が汚れの染みついた心(染汚意)であり、我執(自己に執われること)と法執(すべての存在に実体的な本質があるという見解に執われること)の根本であるということだと思います。煎じ詰めれば末那識は「煩悩」の根源のようなものだと思います。仏教ではこの我法の2つを「空」だと悟ったときに、初めて真如という真実在の世界が顕現すると説きます(二空所顕の真如)。

 

2022.11.11 画像と記事は関係ありません

【 結論 】

以上から、白(White)は、第七番目の心の働きである末那識を滅することの象徴となり得、末那識を滅したとき人間(阿頼耶識)は清浄無垢な存在となります。マニ教の白い衣服をまとった選良者と白狐は、ともに末那識を滅した若しくは滅しようとしている者の意味に解する事が出来るように思います。

推測になりますが結論です。

  • 稲荷の白狐マニ教の白装束の選良者の象徴となりえる。