思えば、叔父と別れてからの母は変でした。
「美味しかった?」と聞いても「味なんてわからなかったわ」と。
あのときは、普段行かないようなレストランに行ったから緊張したんだなって思ってたけど、
それよりも叔父の会話が重すぎたのかも。
今思えば叔父ったら「最後の晩餐だなぁ」とかも言ってたし。
もちろん職業柄、リップサービスが天下一品の叔父なので、ユーモアたっぷりに言っていたけど、
家族最後の肉親である兄を失うと思えば、母にとっては「悪い冗談」でしかなかったことでしょう。
あの後から母は少しづつ、いろいろなことができなくなって行きました。
トイレの水を流さない
夜中に電気が付けられないまま用を足してトイレを汚す
デイケアの時間を間違える
粉薬の飲み方がわからない
湿布の貼り方がわからない
入れ歯の入れ方がわからない
入れ歯をなぜ洗うのかわからず口から出さない
服の着方がわからない
そして、今朝はとうとう初の徘徊。
これも今思えば、徘徊じゃなかったのかも。
その時、私は母と一緒に居間にいました。
母が突然玄関に行ったので、ショートに履いて行く靴の用意でもしに行ったのかな~って思ったんです。
ところが、玄関のドアを開けて閉まる音がしたので「まさかっ」と思って追いかけたけど、すでに姿はなし。
慌てて探したら、100m近く離れた大通りまで出ていたのです

普段はあんなに動作が遅いくせに。
走るを通り越して瞬間移動したんじゃないか?ってくらいの速さでしたよ

そして、どこに行くの?と聞いたら、
「ジャンジャンジャーン
」と訳のわからない回答。

意味がわからないので家に連れて帰りましたけど、
もしかしたらあれは叔父に電話をかけに行ったのかも。
だって母の立っていた向かい側には公衆電話があったもの。
ジャンジャンジャーンも、もしかしたら電話の音?
(昭和の人間なので電話=黒電話なのでしょう)
ただ、あの凄まじい勢いで歩いてたら、公衆電話に辿り着く前に車にひかれてたかもね

そもそも、お金も持たず、電気番号も持たずにどうやってかけるんだか。
ていうか、なんで公衆電話なわけ?
別に私に「電話をかけて」って頼めばいいのに。解せないわっ

単純に焦ってたんだか、内緒でかけたかったのかはわからないけど、
もしこの想像が当たっているとすれば、
これはもう間違いなく不穏の原因は叔父ですね。
もちろん叔父が悪いわけではなく、
かと言って母が悪いわけでもなく、
高齢の兄妹が通らねばならない道であり会話だったと思います。
そして、解決策は・・・時間しかないですよね。
叔父の声を聞かせれば安心するのか?とも思いましたが、
おそらく息絶え絶えの声を聞くハメになる確率の方が高いと思います

残念ですが、どうにもなりません。
そして、いくら母の不穏の原因がそういう致し方ない理由だったとしても、
このままの状態が続くなら・・・グループホームに入所していただくしかないでしょうね。
だって現に本日行ったショート先から、
「かなり不穏な様子なのでもしもの場合はお迎えの心づもりをお願いします」
って連絡が来てるもの。
このままじゃ、ショートさえ行かなくなる、
いや、預かってもらえなくなる可能性が目に見えてるわ。
もう、グループホームっきゃ道はない

お母さん、ごめんね。
でも、お母さんだって訳もわからずギャンギャン怒られるのは辛いでしょ?
ましてや、やれデイケアだ、やれお泊まりだとあっちこっち行くのも疲れるよね。
だから、そろそろ新しいお家に落ち着こうよ。
それが、お母さんの幸せであり私の幸せでもあるんだから


