介護うつからの脱出「どうかその場から離れてください」 | こんな娘でごめんなさい

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末期癌の父を看取った後は、認知症の母の在宅介護を5年。
現在母は脳出血で入院中で、このまま病院で暮らすことになりそうです。
私自身も遅れてやってきた介護ダメージと戦いながら、日々新しい人生の準備中~。

 

父が生きていた頃のずーっと前の話。

 

 

父の末期がんが見つかった途端、

 

それまでは家にも寄りつかなかったゾンビが突然しゃしゃり出て来た。

 

「手は出さないが口は出す」の典型。

 

両親はゾンビに逆らえず言われるがまま。

 

当然しわよせは同居して介護をしている私にのしかかる。

 

 

 

・蝶形骨洞炎

 

・突発性難聴

 

・うつ状態

 

 

 

ストレスが病気となって私を襲った小悪魔

 

 

 

「一緒に住んで介護をしているのは私なんだから、ゾンビの言いなりになるのは辞めて」

 

と何度も泣いて懇願したけれど、

 

母は、

 

「あの子は言っても聞かない子なんだから従うしかないでしょう。アンタは妹なんだから我慢しなさい」

 

と言い放った。

 

「私はあの子さえいればいい。アンタはどこでも好きな所へ行ったら?私は止めない」

 

とも言った。

 

 

父は、私の病気を心配し、家出に関しては猛反対したけれど、

 

ゾンビのことに関しては、「高い薬を買ってもらってるから逆らえない」 と。

 

※ゾンビは遺産分割で自分が使ったお金を請求して来ました。

 こんな奴に恩を感じていた父は大馬鹿者です 

 

 

 

 

私は両親を捨てて家を出た。

 

いや、違う。

 

両親に捨てられたから家を出た。

 

 

でも、その頃にはすでに食事もできなくなっていたし、

 

夜も眠れず、どんな強い眠剤も役にたたない状態だった。

 

家を出てからの1週間で体重は7Kg減った。

 

 

度重なるゾンビからの抗議の留守電。

 

「アンタがいなくなったからお父さん達が困ってるでしょうムカムカ」と。。。

 

そんな電話をかけてくる暇があるならお前が行けよ。そんな遠い距離でもあるまいし。

 

それでいて、話し合おうと電話をかけると一切無視して居留守を使う。

 

「文句は言いたいが相手の言い分には聞く耳を持たない」

 

まさに自己愛性人格障害。

 

 

 

 

季節はもう春(3月)だというのにあの年は毎日のように雪が降った。

 

「後にも先にもあんな雪の多い年はない」って思うほどの異常気象。

 

年老いた両親が雪かきをしているのかと思うと胸がおしつぶされそうだったのを覚えている。

 

 

でも、もう戻る訳にはいかない。

 

今またあの家に戻っても飼い殺しにされるだけ。

 

ここ(北海道)にいても私の病気は治らない。

 

とにかくここから脱出しなくては!

 

 

そう思った途端、少しだけ食べて眠れるようになった。

 

「とにかく今はフェリーに乗れる最低限の体力だけでもつけるんだ!」

 

その思いだけが心の支えとなり、

 

数日後、命からがらフェリーに乗り秋田港へ渡った。

 

なんの因果か、北海道を脱出した日は私の誕生日だった。

 

 

 

そこから私の人生は一変。

 

北海道が異例の雪なのに反して本州は異例の陽気。

 

3月中旬の秋田だと言うのに気温は17℃。

 

その陽気はそのまま続き、各地では桜が狂い咲きを始めたと連日ニュースを賑わせた。

 

 

そして、忘れもしない。

 

本州上陸初日、山形県にあるあつみ温泉に泊まった私は、

 

出された食事を完食し、朝まで1度も起きる事無くぐっすり眠った。

 

 

それからと言うもの、めまいや動悸、耳鳴りはみるみるなくなり、

 

1週間たった頃にはすっかり健康な体に戻っていた。

 

 

2度と家には帰らない。

 

新しい新天地を探す為、日本中を旅して周った。

 

そんな中、定期的に入る父からの心配の電話はさすがに心が痛む。

 

ほどなくして健康な心を取り戻した私に新しい思いが芽生える。

 

 

 

果たしてこのままでいいのか?

 

このまま新天地で生活を始めて後悔はしないのか?

 

嫌だ!

 

自分が正しかったのなら必ずチャンスは訪れるはず。

 

両親だっていつまでもゾンビの言いなりになっているはずがない。

 

もう一度家に帰ってチャンスを待とう。

 

もう都合よく使われたりしない。あいつらの為に心を壊したりするもんか。

 

 

 

そう決心し、父の了解を得て、私は5月に仙台港からフェリーに乗って帰宅した。

 

 

 

ちなみに、私の家出中にゾンビが両親のいる家を訪れることは1度もなかった。

 

また、母が私に心配の電話をかけてくることは1度もなく、

 

むしろすっかりゾンビに洗脳され、一緒になって私の悪口を言う毒親と化していた。

 

 

それでも、半年がたった頃には両親もゾンビの異常性に辟易して絶縁。

 

父の死は私が看取り、現在は母の介護中。

 

金の亡者と化したゾンビは遺産分割を皮切りに4つのキチガイ裁判を起こしたけれど、

 

2年かけて彼女が得た物は法廷相続分+αのお金のみで他はすべて撃沈。

 

 

ここ1年はこちらに接触してくることもなく、どこでどうしているかも不明。

 

 

 

 

・・・・・CALPIS・・・・・CALPIS・・・・CALPIS・・・・・CALPIS・・・・・CALPIS・・・・・

 

 

 

 

こうして振り返ってみると、あの時の家出は私の人生の分岐点だったのだなぁと思います。

 

 

介護の現場を放棄して離れることはとても勇気がいることです。

 

でも、もしも自分が病気になって苦しんでいる状態ならば、

 

「卑怯者」「薄情者」と呼ばれてもいいから、一旦その場から離れる勇気も必要なのではないでしょうか。

 

もちろん、自分の代わりに介護する人を確保することが前提ですが、

 

福祉関係の方に相談すれば、きちんと対応してもらえる世の中になっているはず。

 

 

介護者が倒れたって、その後の人生は誰も保障してくれません。

 

自分の身は自分で守らなきゃ。

 

お互いに離れて初めて気付くこともたくさんあるでしょうし。

 

心の傷には「時間」という名の薬が必要なのです。

 

 

 

今の私の目標は、母の介護を終えて、マイカーで日本全国を周ること。

 

まだまだ何年先になるかわかりませんが、いつか叶うといいな~爆  笑