東京の叔母は、6年半前に脳梗塞で倒れてからずっと入院中。
6年半もの間、生命の危機は何度もあったけど、毎回頑張って持ち直してきた叔母。
でも今日の夕方、札幌の叔父から連絡があり、いよいよ・・・らしいです。
今回は本当にいろいろな数値的に厳しいと。
※叔母は未亡人で子供なし 連絡をくれた叔父とは叔母の実弟(母は実妹)
これ、偶然じゃないと思うんです。
実は思いあたることがあって、
先日、裁判が終わった事を叔父に手紙で知らせた時、
母が以前よりもずっと弱っていて、認知症も進んでいることを付随して書きました。
すると、叔父から「近いうちに会いたい」と連絡が入り、
9月中旬頃会うことに決まったのが昨日の朝。
叔父も母と同じような体調なので、会えるうちに会っておこうと思ったのでしょう。
母もまた、叔父の心情を察したのか、めずらしく快諾してくれました。
そんな矢先に叔母の危篤連絡。
きっと叔母は、離れていてもわかったんじゃないかな。
弟妹が弱ってきてるから、そろそろ自分も旅立つときだと。
脳梗塞で倒れた時点で脳の一部が壊死していたため、ほぼ植物人間状態での6年半でした。
それでもいままで生き続けたのは、なにか思い残すことがあったんだと思うんですよ。
それこそ、その間に5人兄弟のうち、長男と二女が先に旅立ってますし。
残るは、叔母(長女)・叔父(二男)・母(三女)
その弟妹もかなり息切れしてるとあってはと、
叔母なりに苦渋の選択をしたのではないでしょうか。
兄弟の絆があちこちに見えるわ~
叔母さん、長い間の闘病生活お疲れ様でした。
叔母さんはご主人を早くに亡くしたし子供もいなかったけど、
神奈川に住む従姉や従兄夫婦が頻繁に見舞ってくれたから寂しくなかったよね。
北海道の親戚も時々だけど会いに行ったし。
「こんなにたくさんの方がお見舞いに来るなんて、患者さんのお人柄なんでしょうね」
って看護師さんが言ってたよ。
私も、数えるくらいしかお見舞いに行けなくてごめんなさい。
母のこと、心配だろうけど私に任せてね。力不足だけど頑張るから。
こんな日がいつかくるってこと、みんなわかってたけどやっぱり涙がとまらない。
お母さんもしょんぼりしちゃってる。
だからもう少しだけゆっくりしていって。
ゆっくり、ゆっくり、みんなの心の準備ができたころ・・・お別れにしましょう。
叔母さんが 虹の橋
を渡るのをみんな笑顔で見送るからね。