先日、銚子電鉄に乗って来ました。千葉県の銚子駅から更に海側の外川駅迄の6.4キロを結ぶ短い路線です。この鉄道はモータリゼーションや人口減少などの影響から旅客数が低下し、経営状況が悪い事で有名です。社長はこの点を逆手に取り、まずい棒や銚子名物の醤油を使用したぬれ煎餅などといったお菓子やグッズを販売し経営を維持している状況です。同じく千葉県内を走る小湊鐵道や銚子電鉄よりも更に路線が短い流鉄(此方はローカル線ながら都心に近い故、日中でも15~20分置き位に列車がやって来ます。流石です。)では其々前者は路線バスの運行、後者は不動産事業で経営を維持している一方、銚子電鉄では路線バス運行や不動産事業は行っておらず、この辺りが同業他社と比較してそもそも不利である様に感じます。然し乍ら2023年には開業100周年を迎え、長い間地域輸送に特化し地元に愛されて来た事が窺えます。運行本数は終日に亘って基本的には1時間1本と房総半島のJRや私鉄と比較しても特段少なくは感じません。


銚子電鉄には様々な魅力が有りますが個人的に外せないのは終点の外川駅の駅舎です。1923年の開業に合わせて建てられた建物で修復を受けつつ現在も現役で使用されています。内部は待合室と窓口を備えた簡素な構造ですが、待合室の天井を見てみますと碍子による配線が現役で使われています。現代では壁や天井の中に埋め込む事が当たり前となった電気配線ですが、技術が発展途上だった当時は漏電による火災防止の観点から外に飛び出しており、電気を通さない碍子で固定されています。同時期の建物でも老朽化によりそもそも建物自体が存在していなかったり、現役で使われている建物でも改修によりこの配線が撤去されたりしている場合も多く、今となっては非常に貴重な配線を採用している訳です。


碍子については以下も参照



外川駅の外観。木造のとても風情ある建物です。ホーム傍には10年程前まで使用されていた古い車両(昭和25(1950)年製で銚子電鉄移籍前は伊予鉄道で活躍していた)が展示されています。以前は車内も見学出来ましたが老朽化が進み、いつの間にか立ち入り禁止となってしまいました。


銚子電鉄で活躍する車両はどれも1960年代に製造された古いものばかりです。現在は2両編成3本が在籍しており、京王電鉄と伊予鉄道を渡り歩き、現在は第三の人(車?)生を送ります。尚、今後は南海電鉄から中古車を導入し、一部を置き換える予定となっており、仲ノ町駅に併設された車庫には往年のズームカー塗装を纏った車両が現役を退き現在は事業用車となった元地下鉄銀座線の車両(銚子電鉄移籍に際して台車の交換と集電方式の違いからパンタグラフの取り付け、1両でも動ける様に運転台の取り付けなどといった改造が行われていますが営団独特の窓の小さいドアは残ります。銀座線では現在の車両から2世代前に使用されていた車両です。銀座線時代は薄いオレンジ色の塗装を纏っていた筈ですが何故か赤地に白のラインが入った丸ノ内線風(?)塗装になっています。普段は雨曝しで留置されている為車体の状態は非常に悪いですが今でも動くそうです。)と連結された状態で留置されており、ライトを点けて何らかの点検をしている模様でした。


2001編成。元々は京王電鉄で活躍していましたが、四国の伊予鉄道に譲渡され活躍していました。しかし、伊予鉄道でも後継車の導入により引退となり銚子電鉄へ移籍して来ました。因みに、元々中間車だったものを伊予鉄移籍時に改造して運転台を取り付けた関係で1両目と2両目とで前面形状が異なります。手前の2001号車は京王時代からのオリジナルの先頭車です。前面に2枚の窓が並んだ形状は湘南型と呼ばれており、1950年代から60年代に掛けて国鉄をはじめ西武、東急、京急、小田急、相鉄、京王、南海など、多くの鉄道会社がこぞって採用しました。謂わば当時のトレンドだった訳です。


以前ご紹介しました大井川鐵道の21000系も湘南型の一種。製造年は何と驚きの昭和33(1958)年。元々南海で活躍していました。間も無く銚子電鉄でデビューするズームカーはこの車両の後輩にあたります。尚、大井川鐵道は2022年の台風による影響で一部区間が今尚不通となっています。未だに復旧の目処が立っていない模様ですが、一日も早い全線復旧を祈っております。


今回乗車したのは2001編成。南海ズームカーの導入によって2023年度を以て引退となる予定の編成です。車両はワンマンに対応していますが、車掌も常務しており、乗車券の発売や車内検札を行なっています。案内は自動放送で行なっておりますから時間帯によってはワンマン運転になるのかも知れません。先述の通り引退が近い事から車内には惜別と書かれたプレートが掲示されています。この車両は銚子電鉄では2010から活躍しており、現役では最古参の車両です。車両の銘板を見ますと昭和37(1962)年製と書かれており60年以上前に作られた車両です。車体の状態は腐食や塗装の剥がれ、それらを補修した跡が多く、お世辞にも良いとは言えません。この辺りは元々の経年と海の近くを走る事による塩害が関係して来そうです。途中駅ではドアが上手く閉まらず運転士や車掌が手で閉めていたりと満身創痍な様子です。最後までトラブル無く走り続けて欲しい所です。