ブルガリアとギリシャの国境近い町、エディルネ。


なかなか遠いので、

わざわざ行かないと行けそうにない場所なので、

今回の旅で行けるかどうか最後まで考えていたのだけれど、トルコ旅最後の2日を過ごすのは、エディルネに決定。


ダルダネル海峡をこの目で見たかったので、チャンナカレに行ったけれど、その先から最終日のイスタンブール空港に行くまで、どこで過ごすかは少し悩みました。というのも、イスタンブールから西は、どこまで続くトラキアの大草原で、特に訪ねてみたい場所もなく、地図を眺めてはああでもないこうでもないと悩み続けてまして。


ただトルコに来てみて分かったのは、高速道路がとても快適に走れるので、町中はカオスですが、高速に乗ってしまえば、どこにでも行けてしまうという事でした。こういうことは実際現地に来てみないと分からないですよね。


とにかくとにかく!


辺鄙な場所にあるから行けるかどうか分からなかったエディルネに行こう!と決定。


オスマンの昔、ブルサに次ぐ第二の首都であった場所。

ローマ帝国ではハドリアノポリスと呼ばれていた場所。

コンスタンティノープルの城壁を攻撃した、当時の最新兵器「ウルバン砲」を作った場所でもあります(どんだけオタク情報爆笑)


町中の駐車場があるホテルに予約を入れて、2日間車は使わずに、歩いて町を散策する計画です。


まず、是非見てみたかった場所へ!


アラビア書道がとても印象的なEski Ulu Camii (エスキ・ウル・ジャーミー) 。15世紀初めに作られたモスクで、バルカン半島で未だ現役で継続してモスクとして機能しているものとしては最古のもの。

よっちゃん(ドイツ夫)を置いて、女性専用のテラスに上がります。

モスクでお祈りする時は、男女別々なんですね。


男女別というと、私の住む町はトルコ移民の2世3世が多いのですけれど、「お茶に来ない?」って誘われる時も呼ばれるのは私だけ。

お父さんはお父さん達で集まるし、女性は女性だけで集まるのが普通みたい。

ドイツ人に呼ばれる時は必ずペアなんだよね。

どちらが良いとは言えないけれど。


別々にするのが差別的とは思わないです、因みに。






奥でちょうど、祈る姿のモデルさんを被写体に写真撮影されていたのですが、夕方の優しい光がさす姿はきっと美しい写真に仕上がったに違いありません。

プロのカメラマンさんたちが撮影中。

このあと男性の祈る姿も撮影されていました。

邪魔にないようにこっそり。


後ろの大きなアラビア書道には「アッラー」と力強く書かれています。これくらいは認識出来るようになったわい。

敬虔だったクリスチャンのおばあちゃんが聞いたら、卒倒するかもしれん!




どこのモスクにも靴箱があって、女性はスカーフが借りられます。

後ろに掛かっている緑のスカーフを自分で勝手に取って使えますが、私はいつもマイ・ショールを持ち歩いています。


ここでも空が青い。

青い空とオリーブの木がある場所に憧れます。


無い物ねだりだな指差し





エディルネ散策、続きます(^^)/




よっちゃん(ドイツ夫)がジョギングに行っている間、ダーダネルス海峡沿いの公園で猫に餌をやりながら散歩して過ごす。


第一次世界大戦中、ここで英仏連合軍対オスマン軍の通称「ガリポリの戦い」がありました(トルコではチャンナカレの戦いという)。

オスマン軍はここを死守するんだけれど、両軍25万人ずつ戦死するという悲惨な戦いだったらしい。
当時の兵隊さんたちも、こんな美しい夕日を見ながら何を思っていたんだろう。

…などと、目の前の夕陽を楽しまずに百年前の事ばかり想像している私は変な奴だ笑。





明日はもっと北へ向かう予定。




続きます(^^)/

そういえば、そろそろ北へ向かわなければ。
トルコ国土大きい…
好きなものを追って、南へ南へ、と進んでいたら、
イスタンブール空港から帰る日に間に合わなくなってしまう。

ベルガマの宿での最後の朝ごはん。


私たち以外にお客さんはいないので、

宿のご主人と暫し世間話。


昨日は目玉焼きだったけれど、今日はチーズを焼いてくださった。おいしいニコニコ

お土産までいただいて、

出発の時も門の先まで出て来て手を振っていてくださった。

1889年に造られた古い石の家だったので夜は寒かったけれど、それ以外は趣あるとても良い宿でした。


さてさて、

本日向かうのは、誰もが知っている、遺跡といえばコレ。


トロイア遺跡に到着。

そういえば、トルコにあったんだね、っていう感じ。なんとなく、ギリシャの話として記憶していた。
この旅で今まで見て来た遺跡たちも、実は今現在はトルコの土地にあるけれども、トルコ人の歴史とは全く関係がない。
トルコ人はアナトリア半島ともっと東から来た遊牧民で、エーゲ海沿いの古代遺跡とは繋がりはない。

ちょうど一年前にギリシャのミケーネを訪れ、シュリーマンの発掘品を見て、アテネの霊廟を訪れていたので、エーゲ海の反対側にてシュリーマンを追う旅は完結。


シュッとし過ぎてる木馬にっこり


トロイアにはあまり何も残っていなくて、発掘品は博物館で見ることが出来るが、あとは外国に運ばれてしまった。特にドイツな…そして戦後のどさくさに紛れて行方不明になったと思ったら、ロシアで見つかる、という…
発掘調査の功績は認めるけど、なんか見つかったらすぐ自国に持って帰っちゃう昔のやり方は、今の感覚から言うと信じられんけど、当時はそんなもんだね。






ほとんど何もないトロイアで私が何をみたかったかと言うと、地形、空気、太陽の方向、東西南北何が見えるのか、など。

実際に海までの距離や丘の高さを感じて、自分のイメージするトロイアの修正をしに来ました。

超有名な遺跡だからさぞ混んでいるだろうと覚悟して来たけれど、ほとんど人はいなくて、いたとしてもガイドさんを連れた少数の団体様で、足早に観光されてる方ばかりでした。
ミケーネやエフェソスと違って平地な上、木でテラスのように足場が組まれているので、呆気ないほど簡単に回れてしまいます。





トロイア遺跡は同じ場所に何層も町が建てられて来たので、紀元前3千年からヘレニズム期、ローマ帝国時代までの様子を、想像力をフルに使えば感じられる場所。



トロイア自体は何もない平原の中にポツンとある遺跡なので、今日のお宿は30分ほど北へ行ったチャンナカレにします。


昨日までとはかなり違う、大きなホテル。

夕方に着いたのに、まだ部屋の準備ができていないというので、ロビー横にあるバーでチャイを飲みながら待つ。




通された部屋から、ダルダネス海峡が見える。

なんでも揃ってて、コーヒーメーカーにデジタルの空調。
何よりセーターを着て寝なくて良いので(笑)そこは快適なはず。

でも朝ごはんを頂きながら宿のご主人とお話ししたり、色々トルコのことを教わったり、挙げ句の果てお土産まで頂いちゃったりして、そういうあったかさみたいなのはやっぱり小さな宿が絶対に良いって思うんです。
大きなホテルのことはすぐ忘れちゃうけど、小さな宿のことは旅の思い出としてずーっと残ってる。
よっちゃんとも「あの時のあの宿のあの人はあんなこと言ってたねぇ」なんて、思い出してみたり。

どんな国や場所に行っても、その場所とそこで出逢った人たちと思い出がリンクするなぁ。

旅は口実で、本当は人間に会いに行ってるのかもしれない。



つづく(^^)/
ベルガマに来て最初の朝が明けた。

宿の裏山の古代遺跡が今日のメインイベント。
タクシーで行ったり、なんと町中からゴンドラで上れるそうだ。
私たちといえば…もちろん歩いて上る!

山の上から町を見下ろしてびっくりした。
古い小さな村だと思っていたこの場所は、上から見たらなんと大きな町であった!
自分たちの宿が寂れた旧市街地にあったので勘違いしていたのだ。
どこまでも続く新市街は四角い建物に朝の太陽が反射してキラキラ光っていた。








というわけで、昨夜までのロマンチックなさびれた寂しい村ではなくなってしまったのだけれど、強風で吹きっさらしで、怖いくらいの禿山に聳え立つ遺跡の素晴らしさには変わりない。

危険な割に柵はなく、警備員もいない。なかなかスリリングな遺跡見学となりました。



ローマ帝国時代の水道橋が小さく下に見える。40数キロ先から水を引いていたそうだ。

二千年前だよ。すごいなぁ。

南の国は、空が青くて良いなぁ。ニコニコ






出掛けに宿のご主人が冗談で、「風が吹いたら柱につかまるといいよ」と言っていたので、柱につかまって来た。本当に風が強くて、帽子が飛ばされそうだったので日差しは強かったけれど、帽子は脱いだくらい。



アポロンを祀る神殿があった場所に残るのは土台だけ。オリジナルは19世紀の末にドイツ人技師が偶然見つけて、ドイツに持って行きました。

今ベルリンで一番有名な博物館「ペルガモン博物館」に正面を再建されたものが展示されています。
ペルガモン博物館に35年前に一度行った時から、「いつかこの神殿が建っていた場所に行ってみたい」と思っていたので、また一つ夢が叶いました ニコニコ飛び出すハート









劇場は、結構急…

お年寄りの団体が来てたけれども、

みなさんふらふらしていて、みているこちらはハラハラ驚き

ツアコンの方もハラハラだろうなぁ。

行き当たりばったりの旅…

毎日楽しんでばっかりだ。

それに何を食べてもおいしいしなぁ。


明日はどこへ行こう。




つづく(^^)/

時が百年止まってるんじゃないか、という町に辿り着く。









古代遺跡があるので観光客で賑わっていると思いきや、ごく普通の村。
ちょうどイチジクが終わって、今柘榴がたわわ。
腰が90度曲がって杖をついて歩くおばあちゃんや、荷物を運ぶ馬車を見る。
食堂にはいってここの名物をきくと、ホロモン煮込みスープだという(ベジタリアンよっちゃん撃沈😆)。


わんちゃん🐶こんにちは。


街の中心から宿までの道をお見せしましょう↓



イスタンブールよりも

猫ちゃん達は健康そうでなく、ゴミを漁ってたりして悲しくなりました。


柘榴の赤が美しすぎる。


崩れかけている家は、人が住んでいたりいなかったり。

お金があったら、

この区域を全部買い取ってリノベーションしたい…




昨日セルチュクで予約した宿は、民家の一室。
昼間は太陽が照りつけて暑いのに、夜は冷える。
石造の家はしんしんと寒い。
首にバフを巻いてセーターを着て寝た。
朝食をとる部屋は中庭なので屋根がない。
朝の気温は12℃。







猫が喧嘩している声が聞こえ、犬が吠えている。
朝のアザーンが目覚まし代わり。

薄い窓だから外の音がなんでも聞こえる。

寒いのは敵わないが、文明の力に頼って快適な暮らしばかりに甘やかされてるなぁ、普段の自分。
田舎のトルコの生活を垣間見る、これも旅の醍醐味、今日は一日ゆっくり遺跡も見に行くし、街の雰囲気が気に入ったのでもう一泊することにした。





つづく。

エフェソス遺跡を見て満足して、

さぁ次にどこに行こう。


そろそろ北に向かいます。

1週間かけてイスタンブールまで戻る予定。

今回は行き当たりばったりの旅です。


宿の朝食をお腹いっぱいいただいて、

セルチュクの町を去る前に、紀元前からずっと崇拝されていたアルテミスの像に会いに、博物館へ行くことにします。


トルコ朝食は小皿でいっぱい↓


博物館へ向かう途中、

もちろん猫ちゃん達とすれ違う。

10分ほどの道のりで、12匹ほどニコニコ


コウノトリの巣もたくさんありました(お留守ですが)。


博物館についたら、ここでも猫ちゃんたちが居ました。


前日見たばかりの遺跡の、どこで発掘されたかがちゃんと分かるようになっていて、想像しやすく楽しめる。


この頭は確かゼウス↓


青いガラスのお皿!素敵な色だ🩵

ヘレニズムの頃のものだったと思う。


紀元前6世紀のブロンズ像。

動きがまだぎこちないが、足を一歩出している(芸術においては大きな一歩だ)。


ここの博物館は本当に見やすくて、

キュレーターの方に会えたらありがとうと言いたい。くらいのすばらしい構成と展示の仕方をされていると思いました。


何千年にもわたる硬貨も、

時代ごとによく分かるように分類されています。


感動しすぎて、写真撮り過ぎてます。


そして一番最後の部屋に、

アルテミスが向かい合って2台静かに立っておられました。


こちらは紀元1世紀の大理石のアルテミス↓


こちらは紀元2世紀のアルテミス↓

豊穣の女神であり、春の訪れ、動物、自然の女神さま。

身体中に牛やライオン、鳥、花などの彫刻がなされています。

キリスト教が広まるまでは、こういう宗教が信仰されていたのはごく自然なことに思えます。


朝早く行ったので、この展示室には私達しかおらず、静かにゆっくりアルテミスさんと対話する事ができました。


博物館を出ると、また犬が落ちていましたにっこり

インスタで流行っていそうなゴッホ調の階段もありました↓

とてもとても充実して楽しかったセルチュクとエフェソス遺跡。

気に入った場所を去るのはいつも辛いですが、

先に進みましょう。



ではでは、続きます(^^)/

エフェソス遺跡、入り口からの並木が好きだったので載せとく↓


エフェソス遺跡に一番近い町セルチュクに2泊します。イズミルに滞在中に、宿を決めてオンラインで予約してきました。


便利な世の中になったねぇ、昔は直接宿の扉を叩くか、電話で問い合わせるか、現地についてから観光案内所で紹介してもらったもんだニコニコ


セルチュクの町中に車を停めて、

戻ってきたら前にメロンを積んだトラックがとまってた。


犬猫を見るとすぐ話しかけるよっちゃん(ドイツ人旦那)↓


触らずにはいられない(いつものことです)↓




セルチュク市内に水道橋の名残があります↓


城砦もあるので、行ってみよー!












遺跡もよく残っていていて、

なかなか見応えがあります。

景色もいいにっこり


二千年の石の座り心地はどうだい?


もう10月終わる…

日が暮れるのも早いです。

夜ごはんは宿のそばにあるレストランで、キョフテ(ひき肉団子)を食べました↓

炭火焼きの野菜やお肉は燻された香りが付いてて美味しいねぇ!


今日はエフェスビールも飲んじゃいます生ビール




ではでは(^^)/

ついに来た。エフェソス遺跡。

豊穣の女神であるアルテミスを崇拝し、紀元数千年前から交易で栄えていた町エフェソス。ローマ帝国の支配下に置かれると、円形劇場や図書館もつくられ、広大なアゴラ(フォーラム)や浴場もある。ほとんどは地震で崩れてはいるものの、彫刻の施された大理石の柱頭や門をくぐり、何百米も続く花崗岩の通路を自分の足で歩いてみると、それはそれは美しく巨大な魅力的な町であったと簡単に想像ができる。



大学生の時、古典ギリシャ語かラテン語を選択できたんだけど、ラテン語を選んでしまった。ギリシャ語にしておくんだった…と最近つくづく思う。


美しく白い大理石の柱頭↓


セルシウス図書館↓


温水を流して床暖房付きのローマ人住居↓

温水を流していた陶器製のパイプなんだけど、裏山にこんな風に積まれてた(こんな扱いで良いのか、世界遺産!)↓


ハドリアン門↓

ハドリアンには色んなところで出会うなぁ(過去ギリシャ、フランス、イギリスで会った)。



エフェソスは、聖母マリアが晩年を使徒ヨハネと過ごしたと言われているし、共和制ローマのアントニウスとクレオパトラもここで暮らしていたそうだから、想像をめちゃくちゃ掻き立てられる場所!


朝一番は、遺跡を独り占めにっこり

大理石で出来た通路…なんて美しいんだろう。


セルシウス図書館! これを見たかったんだ↓



さて現在のエフェソス遺跡というと、シーズンオフ関係なく、ものすごい数の観光客が押し寄せてきてました。朝一番で行って正解。10時を過ぎた頃から、どうやら近くの港から、大型客船のお客さんが次々に連れられて来ている様子。とにかく次から次へとやって来るびっくりする人の数!ただ、遺跡が広大なことと、グループとグループの間には一瞬隙間があって、それを狙って私たちは記念撮影したりできました。団体様が見る場所は決まっているので、彼等が行かない場所(アゴラ、ローマ邸宅、マリア聖堂、古代建築部分の裏道)は静かにゆっくり見学。更に、私達は二つある入り口の下から緩やかな丘を上る感じで入っていったので、大型バスの入り口の団体様を逆流する形で見学。そうすれば前半は静かに過ごせたという感じ。

皆さんせっかくここまで来ているのに、ローマ劇場とセルシウス図書館をバックに、おかしなポーズをとって写真撮影する事以外は興味がなさそうです。

たまに団体様に巻き込まれてしまうこともありましたが、色々な言語のガイドさんからその都度情報を聞く。本当はやっちゃいけないけど聞こえるから仕方ない。中仏独英西范そして日本語、何でも来いや!と盗み聞き。

結局炎天下の元、4時間ほど過ごしてギブアップ。
なにしろ日陰がない。レストランがない。クルーズ船の団体様は1-2時間で観るそうなので、その倍は楽しめたんじゃないかなと。まぁ量より質なんですけどね。

花崗岩をくり抜いた水道管↓


見事な柱頭、触っても乗っても座っても怒られない。


炎天下で、私もこんな気分↓


猫エサ持参できたよ〜


魔除けにメドゥーサが彫られています↓


プライバシーゼロのトイレ↓

ローマ帝国支配下において、絶頂期には20万人も人口がいた(半分は奴隷)というエフェソス。

ローマ帝国の衰退と、土砂が港を潰し地形の変化で港が数キロ離れてしまったことは港湾都市としては致命的。ゴート族やアラブ人の侵略もあり、だんだん人口が減っていき最期にはゴーストタウンに…


周りを見ると、山には大きな木が生えていない。木、切り過ぎ。ローマ帝国がいた場所は本当にどこもハゲ山だなぁ。ローマ帝国🟰元祖環境破壊!


暑かったし、あんなに多くの人をみたのも久しぶりだったし、よく歩いた。

ずっと来たかったエフェソス、まだ歩けるうちに来れてよかった。そう、歳とってくると、「また今度」「いつか」じゃなくなってくるの。


ひとつずつ、人生の見たいものリストをチェック✅していきます。



さぁ、次行くで‼️




つづく。

にゃんと!トルコ🇹🇷の建国記念日ですと!

多分そのせいで?この町に向かう途中、警察に車を止められて検問がありました。






だいぶ前ですが、ポッドキャスト「コテンラジオ」で「ケマル・アタトュルク編」を聞いていたので、理解度がちょいとあった(と思う)ので今目の前で起こっていることが少しは分かって良かった。
国旗掲揚と国歌を歌う時は子供も大人も急にキヲツケ‼️ってなった緊張感。こういうのがある国なんだな、と認識。

夜は町の真ん中に仮設されたステージで野外コンサート。そろそろ寝たいのだが、いったいいつ終わるんだろう〜無気力
アレクサンダー大王が造らせた古代遺跡、後に起源1-2世紀のローマ時代に建て替えて造られたアゴラ遺跡がイズミルの街中にあります。




市場や貯蔵庫だった場所。

この形だから2千年経っても支えてられる。すごいな。


水もちゃんと溝を流れてる↓


その辺に大事そうな石がゴロゴロ転がってる…





コリント式の柱、巨大なバジリカの土台、貯水システムなど、とても良く残っている遺跡だと思いました。まだまだ調査中で立ち入れる場所は限られています。





全ての場所に行けるのは猫ちゃん達だけ。




連れて帰りたいくらいかわいい。



私達は、宿をとったGazi通りの方から大通りにそってアゴラまで来たので、特に危険な感じは無かったのですが、丘の上の方(アゴラから西南)と、グランバザールに繋がる一部の路地は少し怪しい感じです。市場で出会った地元のおじさんがいなかったら、自分たちでは絶対通り抜けしないだろうなぁと。物乞いもいたし、ジプシーやアフリカ系の人達や戦争のせいで難民として西から入ってきた人たちも増えているようです。危険ではないかもしれないけれど、安全でもないかもしれない。わざわざ自分から行かなくてもいい区域かなとは思う。

Googleで検索した最短距離は、最良ではないということをちょっと意識しておこうと思いました。



ではでは(^^)/