前回に書いた通り拒食症や過食症やアルコール依存症や様々な人生に起きる問題は、恐怖やいら立ちが根底にあります。
人類が自分は何者であるかを忘れてしまった(意図的に忘れたとも言える)ことから始まった苦悩なのです。
ですから問題を解消するには、本当の自分(意識的な自分)を発見すればいいことになります。
決して問題に見えることに必死に戦ってはいけません。
でも問題はあるんだ実際に苦しいんだと思うでしょうが、それを俯瞰して見れるようになり大きな愛である自己になってしまえば、恐怖も苦しみ悩みも消滅してしまうのです。
まずは呼吸を見つめる瞑想をしましょう。座っても寝ていても大丈夫です。
お腹が膨らみ縮んでいくのを観察し続けます。
途中で思考が湧いてきますが、湧いてくるままにして流し去るようにします。
食べたいスマホを見たいアルコールが欲しいという欲求があなたを掴んで離さなくなって既に手に持ってしまった時は、それを神からの恵みであるかのように大切に扱う訓練をします。
これは私が闘病生活の中で発見した瞑想法です。
見つめる瞑想を続けていたある日、全宇宙が光であったと悟りました。
しかしながらその状態は続かず、また痛みめまいの肉体に戻ってしまいました。
そこで既に全てが愛と光であるように生きてみれば、最終的には自分が愛や光になっているのではないかと思い、生み出した愛の瞑想法です。
手に持ったパンやスマホやアルコールをありがたい愛だ光だと思って一口噛む、飲む、手にもって眺めてみます。
既に食べ飲みゲームを初めてしまっても、途中で気がつけばいいのです。
その口の中にあるパンやビールはだだの物ではないと、食べている最中でも良いので気付くのです。
恵み(光)が口の中や喉や胃の中にゆっくりと入って行くのを見て感じましょう。
スマホも同様に、これは神だと思って大切に触ってみましょう.
意識的に生きること、つまり無意識のうちに何事もやってしまっていたことに気づくのです。
食べることを観察する瞑想法もあるように、今まで無意識にしてしまっていることを意識的にしていくことが人生の転換点となります。
時間がかかっても失敗しても、気づいたら何度も繰り返すうちにあなたの周りの全てが愛(光)
だったと分かる時が来ます。あなた自身が愛であったと気付くのです。
「私に愛や感謝や慈しみがなかったから虚しさが生まれ、虚しいから怒りや欲望や依存や乱暴さが人生に現れてくるんだ。」と気付く時が来ます。
最初は呼吸を見つめる瞑想という堅苦しいものから始まったけれど、気づいていることに慣れていけば人生のあらゆる場面で愛と幸せを見いだせるようになります。
呼吸を見つめる瞑想で気づいている意識をつくり、愛の瞑想でいかに自分があらゆる物や事を乱暴に扱い、自己満足のために利用してきたかに気づくのです。
恐怖や苦しみ悩みとは、日常の中に愛や慈しみがないことが発端となるのです。
欲望や衝動に振り回されるのではなく、それを観察するあなたになってください。
道は長く感じられるかもしれませんが、このこと通じてあなたは神への道に入ったのです。
こうなって初めて引き寄せ(現実創造)が自然に上手くいくようになります。
これからもっと詳しく書いていきますが、図解出来ないのがもどかしいです。
いつかユーチューブで実践解説したいと思います。
4年前のまだ寝たきり状態の時に書いたものですが、最初の7つのブログ記事が呼吸や思考を見つめる瞑想についてと感情感覚を自由にすることについてです。
9から12までの記事が愛で生きることについて書いてあります。
時間と興味があれば見ていただければと思います。
次回は幸せとは何かとということと歩く瞑想についても書きたいです。
元気になったとはいえ、28キロで20年の寝たきりで筋肉全く無しからではなかなか体力が続かないものです。リハビリ運動楽しんで続けています。
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