東京タワーが
2011年に模様替え
このライトアップは
いつまでなのでしょうかね?
飯倉交差点までの
なだらかな坂道の
ビルの谷間から見える
東京タワー
飯倉交差点を
登りきったところからの
東京タワー
東京スカイツリーに
人気を奪われている東京タワーですが
その姿は
とても美しく
激動の50年の東京・・そして日本を
静かに、
暖かく
見守り続けながら
時を重ねた
その年輪と重みが
冬の夜空に
凛と輝いて見えます
東京タワーは
私と同じ
51歳です
若い頃は
何事もがむしゃら
無我夢中になって
生きていました
そして
そういう生き方こそが
カッコいい・・
そう信じてました
日本独特の
ど根性物語が
大好き人間だったのです
が・・
ある時期を境に
そういう生き方が
あまりかっこよく感じなくなってしまったのです
その時期とは
高校時代・・です。
私の通った高校は
とてもユニークな学校で
神奈川県でも唯一
そして
日本でも初めてと言う
当時では
とても信じられないような学校でした
県立高校なのに
外国語課という高校で
英語のほかに
第2外国語として
フランス語か
スペイン語が必修
授業の1/3が
英語&第2外国語で
でも、それだと他の科目の必要単位が
間に合わないので、
なんと・・
アメリカの家庭科の教科書とかを
翻訳する授業が
家庭科として
扱われていました!!
制服はあるけれど
私服登校OK
学校には
ベルやチャイムがなく
生徒が自分で時間を管理して
授業に臨む
そして極めつけは
校則がない!!!
ともかく
生徒一人ひとりの自覚と責任に
すべてを任せると言う
とんでもない高校でした
↓
超リベラル
↓
アメリカの学校のスタイルをとったそうです
一学年は160人
県内のすべてから
生徒が集まり
当時まだ珍しかった
帰国子女も
沢山いました
実は私
中学までは
がちがち真面目な
ガリ勉少女だったのです・・(激告白!!)
勉強一筋で
多分一生のうちで
一番勉強したのは
この中学時代・・
・・そして
何でも一番じゃないと気がすまない
超強気の
いやな奴でした
勉強でも
体育でも
先生からの評価でも
自分の中には
2番・・と言うものは
まったく存在せず
ただひたすら
一番を死守するがために
毎日が
自分との戦い
人との戦い
それが私の生きる道
カッコいい道
そう信じていたのです
ところが
その高校に入学して
事態は一変
通学には
制服&白のワイシャツと
白のソックス以外考えられなかった
生真面目な私は
アメリカの帰国子女たちが
髪を栗色に染め
マニキュアに化粧
ピアスは3個
そして
はでな私服で通学する姿に
カルチャーショックをこえ
嫌悪感さえ感じたほどでした・・
が、それ以上にショックだったのが
いつ勉強しているかわからないほど
いつも楽しそうに
自由気ままに人生を楽しんでいる
彼女達の成績に
私がどんなに頑張っても
追いつかなかったこと・・でした
帰国子女以外の生徒達も
県下の優秀な頭脳の集まりですから
↓
(私以外・・)
↓
どんなに私が頑張ったところで
一番なんて夢の夢
160人中
いつも
100番台の成績でした
でも
生徒の誰もが
みんな生き生きと
楽しそうで
勉強に明け暮れているとか
そんなそぶりは微塵もなく
休み時間すら
教科書を話さなかった私は
自然とみんなから孤立せざるを
えませんでした
そんな風にすごした3年間の結果
大学受験では・・
私は見事惨敗!!
いつ勉強していたのかわからない
彼女&彼たちは(一応共学)
皆そろって
ICUとか・・
東京外語大とか・・
上智とか・・
どんどん受かって言ったのです
あとで聞いた話ですが
ヤッパリみんな
すごく勉強していたのです
私なんかよりも
もっともっと頑張ってたんです
でも
それを楽しみながら
悲壮感など微塵も見せずに
淡々と
悠々と
こなしていたのです
何故そんな風に出来たのかと
今考えると
勿論みんな頭は良かったのでしょうが
(私以外・・)
それと合わせて
頭がとても柔らかかったのです
何をするのにも
柔軟に対応できる頭と心
そこから生まれる
余裕があったんです
本当の意味で
頭の良い
優秀な人材が
そろっていたのですね
車のハンドルと同じで
遊びがあるから
まっすぐ
安全に進むことが出来るのですね
All or Nothing
黒か白だと
どうしても
歩く道幅
人生の道幅が
狭くなってしまいます
ちょっと寄り道したり
道端の草花を眺めたり
雨も良し
風も又良し・・としながら
歩いていく方が
その道程が
絶対に楽しいはずです
そして・・結果
実もある花もある
豊な人生になるのですね。
どう歩いたところで
自分の人生
自分の道
だったら
楽しく
余裕を持って
歩いていこう
それを
高校3年間の間に
学びました
ちなみに
その1.
卒業生では
色々な有名人がいます。
今とときめく
イーウーマンの
佐々木かおりさんも
同窓生です
(ちょっと自慢
)
その2.
何とか滑り込んだ大学では
1年生の時の
英語の教材が
何と!!
その高校で使っていた
テキストそのままで・・
びっくり仰天!!
そのお陰で
その後の4年間は
超楽しい
4年間でした

