文化芸能史 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

落語は江戸時代に成立し、明治大正昭和平成まで伝承されている話芸

 

 

長い歴史の中で落語が一般大衆の娯楽だった元禄化政期から明治の噺の中に出てくる芸能は落語ではない

 

歌舞伎や浄瑠璃だったり義太夫や小唄の節だったりその時々の流行りの芸が出てくる

 

清元というのもありそれは何だ?と想って聴いてみた

 

 

時代劇でよく観かける料亭の二階の小部屋の座敷で芸者さんが演じる三味の乙な芸

 

武家の教養や町人の稽古事としてこれらの芸を嗜むことはあった、という噺もあるが

 

当時の芸人は芸一筋、武士や百姓や町人が芸を磨いて芸人になることはなかった

 

 

芸の専門レベルが違いすぎたという、逆に士農工商の時代は河原芸人風情がという言葉があったように職能専門分業されていたという

 

現代の芸能人が使う素人さんという言葉の概念はない、お前らが素人だろ?なんかプロとしての専門職があるのか?となってしまう

 

近代明治になると芸人の中にも階級があって一定の階級以上は所得税が免税されたという

 

 

その代わり選挙権も被選挙権もなかったという、政治と芸能は完全分離の対極に位置していた

 

政治批判は狂言として室町時代から幕府公認の芸能だった、政治風刺というジャンルに昇華した芸能だったという

 

平成の現在は政治家になるにはむしろ、芸能人になってテレビに露出して知名度を上げることが近道という現象が生じてしまったようだ

 

 

テレビカメラの入らない寄席や演芸場の古典芸能には放送禁止されている差別表現が多く毒があるが歴史事実が垣間見えてくる

 

日本がJAZZやロカビリーブームの頃、青島で世界の音楽を授かった中村八大の名曲が後に坂本九のスキヤキになった噺を講談で聴けた


戦史や政治経済外交史よりも現役の学生には苦手意識があるとされている文化芸能史

 


戦後文化芸能史にはノーベル賞受賞者やテレビ歌謡芸能・野球スポーツ・映画監督そして漫画の手塚治虫…サザンやユーミンまで

リベラル左翼文化は頻出だという

文化芸能史は時代転換期の繁栄と闇が理解できる、混乱期に文化は繁栄する

 

 

いったい誰がどんな歴史背景で芸能文化作品を発祥させ伝承してきたのか?

江戸時代は明確な士農工商の兵農分離の身分制度があった、文化芸能の専門集団はどの層が担っていたのか?

幕末維新の欧化政策期での継承者は?戦後は?そして現在は?

 

 

紐解くと古代にまで遡る、阿弥と呼ばれる身分の低い知識人の僧侶と同朋衆という集団がいた

公家や武家の祭事芸能の取り巻きそして対抗勢力のスパイとしての裏稼業を担っていた

公家でもなく武士でもなく農民でも職人やあきんどの町人ではない賎民という身分があった

 


中世も継承され江戸期に身分制度が一旦確立した、士農工商ではないわずか人口の数%の人達

公家の対抗敗者や武家の落武者、関ヶ原の西軍だったり外様大名で改易された武家や浪人衆

そして南蛮・朝鮮・大陸・蝦夷からの外来種だったという

 


彼らは農工商を営むことも許されずそれ以外の専門集団となって独占したという

今ならあってもなくても日常生活にはなんら困らない水モノの高次サービス業

途絶えることなく今現在があるわけだから寄席芸人までは旧倭人化した層の独占業

 

 

テレビ芸能スポーツやメディア、水商売・ヤクザは薄く相互につながり戦後平成にかけて

新旧が交代し明治以降に新興同化同和した二世三世在日外国人のほぼ独占業となってしまった、のだろう

明治の民党は外国人内地雑居反対と旧条約励行を推し第一回大日本帝国議会から吏党と民党との政策論争をしていた

 

 

あれ?今の世論と逆、明治薩長藩閥政府は欧米列強への売国政府だったのか?現在の移民・外国人参政権・憲法九条の論点と重なる