約八十年前 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

第一次世界大戦の敗戦で多額の賠償金等を課せられた独は、再起が困難などん底から社会主義労働者党のナチスが台頭した

 


労働者党一党独裁で国力が一点に集中し再び軍事力を蓄積して欧州の脅威になっていたという


日本の政党内閣は相次ぐ要人暗殺事件で崩壊し、挙国一致の軍部内閣が新体制ファシズム化して外交と国内政治を主導していった

経済的に孤立し戦略物資が調達できなくなった日本は、かつて敵対していたがこの時は反共産主義の理念を同じにする独伊と同盟を組むことになる

 

 

日本は満州民族による清の復国を目指し満州国の建国を承認したが、国際連盟の調査団から観たら傀儡国家と見做された

 

満州国は中国国民党や中国共産党とはそりは合わなかった、1937.7.7支那事変(日中戦争)が勃発した

 

この戦争のきっかけは日本と中国国民党(後の台湾)との紛争であり、中国共産党(後の中華人民共和国)との争いではなかった、今から八十年前のこと

 

 

国共合作で国民党と共産党は連合するが、内戦で共産党は国民党を台湾に追いやり共産党が大陸を占有するのは現在の地理の通り

 

欧州では独ソ不可侵条約を締結してソビエトの侵入を防いだ独は、ポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発した

 

日本は満蒙朝経営と支那事変を収束させることが精一杯で、第一次世界大戦の時のような参戦の余裕はなかったというが

 

 

かつて欧州の帝国主義列強国が植民地としたアジアを次々に奪還していった、地球の表面積を米・英・ソ・日・他で均等くらいづつで分けるに至ったが米英ソがそれを許すはずがなかった