幕末の政治経済 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

鉱山開発で得た金銀銅の鉱石が底をつき、財政難が慢性的になった江戸後期になると商業にカルテルや持株資本方式を取り入れていた商人の売上から税金を取り始めた

 

 

田沼意次の財政改革が始まった、江戸は金本位・上方は銀本位だったため通貨の両替に金銀為替レートを定め貨幣流通の安定を図ったという

希少になった金の海外流出を防ぐため小判の金含有率を減らしたり、銀で金貨のメリットを採用した南鐐二朱銀を鋳造流通させた

金銀銭は現在の十進法ではなく四進法だったことは貨幣流通を複雑にしていた、ゆえに両替商が商売として成り立っていた

 

 

南鐐二朱銀は明治の新貨条例と日本銀行が設立されるまで使用されたという、コメや青物市場には天候不順をリスクヘッジする先物取引は必要に迫られ既に導入していた

 

世界に先駆け証券取引所のようなしくみがあったという、地域開発基金を設立して印旛沼を開拓し樺太・千島に先行投資して

 

調査を実施しロシアとの交易を目指した、ファンド(基金)のしくみも江戸後期には既に存在していたことになる

 

 

貸上・札差・両替商・蔵宿という商売は明治初期の近代銀行業務とほぼ同じで江戸蔵前や大坂堂島に集中していたという


明治の日本は金不足からまず銀本位制を本格的に採用したためバンクは金行とは訳さず銀行になったという

 

よって、日本国内には金座や銅座や銭座もあったが銀座という地名が多く残った

 

 

田沼は家康も吉宗も実現できなかった外交政策と財政税制金融改革を成し遂げた

 

しかし当時の日本人感覚では不評だったらしい、高額な利子・配当や政治資金は贈収賄と見做された

 

息子の田沼意知は不評をかって暗殺された、袖の下という賄賂は横行していたようだが田沼親子は類まれな優れた実績を妬まれた

 

エレキテル

 

商業資本主義を徹底した田沼意次は毛並みの良い名門幕閣の松平定信(吉宗の孫)らに失脚させられた

このためかどうかはわからないが日本の経済は周回遅れで未だにノーベル賞でも受賞されていないのは経済学部門だけだという

 

田沼親子の経済政策は当時の日本のみならず世界でも時期尚早だったという

 

 

経済用語もスキームもまだ存在せず金融工学理論も確立していない時代に江戸・大坂市場で資本主義経済を実証実験していた田沼政治は現在再評価されている

この後の幕府の改革は失敗続きで権威は失墜した、経済に無頓着な政治になった、中央政権に政治力のない外様の雄藩が経済力で台頭していった

 

この時期までは欧米に引けを取らない大江戸百万人都市と上方経済圏の政治経済能力があったが幕末は中央の権力が崩れた

 

 

この隙に環太平洋アジア経済圏を侵略してきたのが欧米列強の帝国主義だった

 

欧米は天皇なのか将軍なのか徳川なのか薩摩なのか長州なのか日本の交渉窓口は誰なのか困惑したという

 

ゆえに日本はリスク分散できた、為に当時欧米列強に植民地化された東南アジアや中国大陸のような状態を回避できたのだと理屈付けされている

 

開港貿易


大陸の華夷秩序は阿片戦争によって崩壊し清王朝は欧米列強に蝕まれていった

 

日本は戦国時代に南蛮に求めたように最新の武器が大量に必要となった、欧米列強に開港を迫られ通商条約に違勅調印することになった

 

薩英戦争後にはイギリスの援助によって外国製武器が琉球経由で薩摩藩に大量に輸入されたという


 

開港貿易によって初期の頃は幕閣の誰もが予想しなかった輸出超過で貿易黒字となった、日本製品は当時から良品質だったという