どうしちゃったの日本は? | 久蔵

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落語と歴史のブログ

明治末から昭和初期戦前までのわずか三十数年は、どうしちゃったの日本は?が存在する時期

 

明治末の帝国劇場と警視庁

 

明治のキーワードは富国強兵・殖産興業・資本主義・産業革命という近代用語

女子は製糸紡績業において国内産業を支え、男子は欧米への高級生糸の輸出とアジアへの綿製品市場を開拓した

アジアでなぜ日本だけが近代化に成功したのか?は労働力の再配分がうまくいったから、だという

 

高齢者と女子が国内農製造業に貢献し男子が海外に進出できた、兵力としてではなくビジネスとしても

 

日露戦争の頃に発表された近代文学の代表作

 

近代国家先進国の英から紡績機械を購入し、さらに英領植民地のインドから綿花を大量に輸入した

綿花を紡績機械で綿糸・綿布にして国内で消費し、余剰を発展途上のアジア用にも生産できた

 

綿は日常必需品、それを機械によって国内を賄うだけではなく輸出できるようになった、日本初の産業革命が実現した

 

近代国家として目覚ましく発展した当時の政治経済とは裏腹に、明治文学からは一般庶民の影の一面が垣間見える

 

富岡製糸場

 

江戸時代には畿内のいたる所にあった綿畑はなくなり、日本全国の綿畑は桑畑にとってかわったのはこの頃だという

 

桑畑の桑は蚕が繭玉にし、繭は製糸工場に運ばれ工女たちが良質の生糸に紡いでいく

 

生糸・絹は贅沢品、幕末の開港時からの主力輸出商品だった、それを工女たちによって大量生産し輸出拡大した

仏のお雇い外国人の指導のもと生糸は欧米の富裕層や資本家たちに大量に買われ莫大な国益をもたらしたという

 

フランスからお雇い外国人ブリューナー他

 

国策模範の殖産興業の製糸工場で働く工女たちは、裕福な士族の娘たちで待遇もよく憧れの職業になったという

 

戦後、民間航空機が飛んだ直後のスチュワーデスのような職業だったのだろう

かたや中小零細の製糸工場の工女たちは貧農層の余剰労働力として働き、待遇も労働環境もよくなかったという

 

しかしながら製糸紡績軽工業は男子の労働力を必要とせず富国強兵の労働力再配分を最適化し、日本をアジア唯一の近代国家に導いた

 


このタイミングで産業革命できなかったら、ほとんどのアジアのように植民地に追いやられる状況だったという

 

日本には江戸時代から絹の製造技術があったため、明治末にはその生糸を世界に通用する高級シルクとして大量生産輸出ができた

富岡製糸場の器械と工女たちの果たした役割は図り知れない、日本の植民地化を回避し経済力と軍事力をも得たことになる


日本は英米から製糸紡績器械が購入できる資金調達力もあったことによって、欧米列強に並ぶ近代国家の仲間入りを短期間で果たした

 

明治末の横浜伊勢佐木町通り

 

さらに、明治初期は綿花輸入と生糸と綿製品の輸出経路は高運賃の欧米運輸会社に委ねざるを得なかったが

 

日清戦争前には三井・三菱によって日本独自の運輸航路ができ収益が格段に上がり経済力・軍事力の強化につながった

やがて英に並ぶほどの軽工業製品の輸出大国になり、世界の経済市場を占めるに至った

そのわずか十数年後には重化学工業製品においても世界の経済市場を占めることになる、むしろ列強国の経済力が恐慌によって劣後していった

 

 

相対的に貿易黒字となり国益は有史以来空前絶後になって大日本帝国の軍事力が最大化する

 

列強国からソーシャルダンピングという経済制裁を受けることになり日本は孤立していく

その後の戦後も自動車・電子部品・音響電気製品・通信機器…も世界の経済市場を占めたが平成の現在は?

明治末を振り返ると現代平成に似ているところもあり、現代の方が及ばないところもある

 


同じ作家の大正から昭和初期の作品はテイストが変わる

 

どうしちゃったの日本は?はどこからか、大正につづく