古事記と日本書紀 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

ギリシャ神話は知っていても八百万の神の物語の古事記を語れる日本人は少なくなってしまったという

 

 

古事記と日本書紀は記述の性質は異なるが同じような内容の書物

 

このことによって推古天皇の存在や聖徳太子、中大兄皇子と中臣鎌足の大化の改新が疑問視されているという

 

 

聖徳太子は実在したのか?日本書紀は捏造か?という論争にもなっている

 

史実では聖徳太子が摂政となって仕えたのが推古天皇、古事記は推古天皇の即位をもって終了している

 

推古天皇・聖徳太子(厩戸皇子)・蘇我馬子の三頭体制

 

日本書紀の記述はこのころから史実として信用のおけるものらしく

 

推古天皇の治世は日本の歴史の中でも最も輝かしい時代と評されているらしい

 

 

日本書紀は第41代持統天皇(女帝)まで記述が続き

 

第33代推古天皇(女帝)以前は初期の「欠史八代」や卑弥呼(女)、「空白の四世紀」など謎が多い

 

 

毎年2月11日は建国記念の日、初代神武天皇が即位したのが紀元前660年のその日と考えられ祝日となっている

 

古事記も日本書紀も先が建国の由来を主題とする神代の物語でその後初代から皇位継承順に天皇紀という構成

 

 

最初11柱の神々に入るイザナギノミコトとイザナミノミコトが日本列島を創り、さらに神々を生む神話から神代紀は始まる

 

初代神武天皇は神話の神であり実在しない天皇、というのが歴史学では常識のよう

 

 

では実在した天皇は第何代からなのだろうか?というのが日本考古学の一つのテーマだという

 

古事記の推古天皇までが実在しない天皇なのか、となれば聖徳太子も実在しなかったのか?

 

 

であれば古事記は神話のみ、日本書紀は第34代から史実の書という識別もできる、編纂勅命した第40代天武天皇こそは実在したのだろう

 

日本建国の記念日の経緯が意外と知られていない

 

 

そもそも現代の国民が母国の誕生日を祝っている雰囲気はあまり感じられない

 

因幡の白兎のような古事記の日本神話やお伽話、日本昔話を語れる日本人は減っていくように想う

 

 

母国の神話を語れる人が絶えると、いずれその国は滅ぶという神話すらある