佃祭 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

東京湾に浮かぶ佃島と石川島、徳川将軍家ゆかりの地で住吉神社を中心に夏祭が盛大で現在も毎年八月上旬に行われているという

 

志ん朝の佃祭

 

佃島の住吉神社近くに展示されている古地図からは江戸初期には既に佃島が存在していることが伺える

 

 

なぜぽつんと佃島・石川島だけが存在しているのか?江戸幕府が事業として造った人工の島に人を住まわせた

 

江戸時代の東京湾

 

近代明治以降は石川島播磨重工業の前身が造船業で日本を軍事海運国家に導いたのは史実のとおり

 

昭和初期の江戸湾

 

台場の砲台は江戸湾の海防のために幕末に埋立て、現在はフジテレビ局舎となっているのは周知のとおり

 

住吉神社

 

佃島は佃煮以外にも知る人ぞ知る徳川家康と将軍家ゆかりの地のようで江戸湾の漁労権を独占した、後の八代将軍吉宗の孫の代には

 

 

松平定信の寛政の改革では石川島は長谷川平蔵を登用し人足寄場として利用している、鬼平犯科帳でその知名度は上がった

 

 

佃祭という演目の落語はまだ橋が架かっていない頃の噺で、神田・日本橋から夏祭のため佃島に舟で渡り

 

 

最終便の仕舞い舟に間合わず帰れなくなり、夜半まで佃島で過ごすという噺

 

 

夏祭期間中の舟の往来は満席で、特に最終便は超満席となり転覆沈没し多くの乗客が亡くなったが乗れなかったため命拾いをした

 

 

その噂が神田にも流れ待つ家族は心配した、佃祭に訪れた客は全員死んだとか佃島は津波で島ごと流されたとか噂に悪い尾ひれがついて届いたという

 

 

ふとここはそういう場所なんだと、それにしては今では佃リバーシティ地区が避難場所となっている

 

 

現在の日本の防火・耐震・耐水・津波対策の建築技法は世界一だが自然界一ではない、隅田川のスーパー堤防も自然の脅威には過信は禁物

 

談笑師匠の佃祭

 

江戸湾や大川(現隅田川)にまつわる橋や船頭や花火や水難の噺は落語で多く語り伝えられている