英会話という落語 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

早期英会話教育⁈
英会話の義務教育化⁈

英会話を何に役立てるのか⁈


この違和感を見事に簡潔に言い当てている英会話という演目、江戸っ子の江戸言葉の勢いなら英会話ができる

 

意味は通じなくても駄洒落や音のメリハリと身振手振と表情でそれなりにコミュニケーションはとれる

 

会話はどの言語でも三割程度しか意思疎通に役立っていない、非言語コミュニケーションが機能しているからだという

 

 

読み書きと会話とでは使う能力は別、江戸っ子は読み書きはろくに出来なかったが駆け引きのある喧嘩の啖呵は減らず口で達者だったという

 

あきんど衆の話術は長崎出島での唐人や南蛮人との交渉を経て、開港貿易での欧米人や後の外交も欧米露中に動じない大和流儀だったという

 

明治以降、英語や仏語や独語や露語の読み書きに力を入れてきたが戦後は英語一色、これからはマニュアル英会話になるんだってね〜

 

義務教育で英語圏に何でもイエスサーと言えるように、コンビニやファストフードでしか通じない英会話をマスターするんだとか~

 

 

そのために国語や古文や日本史や日本の音楽・・・を減らすのはナンセンス

 

日本人の日本語脳を早期英語脳にする、経済市場や国土を植民地にできなかったから日本人の頭脳を占領する、という風刺噺もある

 

小学生から英会話をやるくらいなら日本語の古典の落語を聴かせろ~というのが噺家さんたちの想い

 

落語は通訳が難しくリズムとテンポをそのまま理解するしかないらしい、だから英訳しないで歌舞伎や邦画もそのままが良いという

 

 

古典芸能もオペラも原語で、ディズニー映画も主題歌はわざわざ日本語にしなくてよし、ってなマクラだった

 

母語ではない他言語の英会話を義務教育にすることもない、英語も落語もいつから始めても・やるもやらないも自由、全員がやることでもない

 

母語の日本語を適切に、綺麗な日本語会話をするのが先、世界中には何十億もの人がいて英会話ができる人はごまんといる

 

ごまんどころか何億人もいる、日本語をちゃんと話せる素養と環境があるのはわずか一億人しかいないのだから

 


感性の異なるアメリカンジョークやイングリッシュギャグが大和魂に刺さるわけもなく、日常エピソードの共有体験が少ないから笑いのツボがズレる

 

今風のお笑いも流行りの時期の旬にしか響かず半年も経つと苦笑にしかならない、母国の母語の落語なら何か感じるものがある