創造性と質。
「創造性」。私は基本的にデザイナー(その前後で関わる業務もしている)なので、
この言葉の重要性を痛感するのだが、この言葉を効率や結果に置き換えることもできる。
居酒屋ではよく愚痴を聞く。
「私の仕事ではないのに、やらされる」
「頑張っているのに、売上があがらない」
その他愚痴の内容は色々。
「私の仕事ではないのに、やらされる」の場合、会社の体制に問題があったり、
自分の仕事の取り組み方、人格に原因があったりするのだろう。
「頑張っているのに、売上があがらない」の場合、仕事の質に問題があったり、
商材そのものに優位性が無ければ、もちろん売れるわけがない。
しかし被害者的な発想をしても、自分の置かれた状況が変わることは無いことは
誰だって理解しているのであろう。ただ、その一時のストレスの発散だけ。
根本的に変えようと思ったら、自分の取り組み方を変えるか環境を変えるかしかない。
私は同じ会社に4年以上務めたことが無い。
それが良いことなのか、悪い事なのか分からない。
昔からしんどい仕事(労働時間の割に利益が上がらない仕事)はしたくなかった。
だから色々と考える。
営業の方法、商材の内容、仕入れの方法、品質管理のやり方などさまざま。
だから大手におた時は保守的な重鎮からは敬遠された。
そして部署の幹部に自分が思い描くビジネスモデルを提案した。
そしてそれは表面的にしか検討されることはなく私は会社をきっぱり辞めた。
そして7年経って、彼らは私が付き合っている工場の顧客となり、
再会して私が現在やっている仕事を知って行く中で、
アドバイザー的な外部スタッフの仕事を提案された。
しかし会社に行き、幹部の方達と話をしてみると根本的な事は何も理解しておらず、
ただ中国の事情に詳しく、現地で直接工場を管理できる人材だということで
私をうまく使おうとしているだけだと分かった。
ただ彼らに悪気などない。中国に出張レベルでしか行ってないのに、
理解する事は不可能であろう。だから丁重に断った。
彼らは安い工場を探し、工場もオーダーが欲しいから最初はうまく付き合い、
その後時間が経って問題が多くなり、また別の工場を探すという事の繰り返しであろう。
もちろんその会社の売上は伸びていない。
現在競合企業との消耗戦の最中である。
私は異質で生意気でもあるんだろと思う。
しかし、こうやって行きてきて30過ぎてからは、サラリーマンとしては管理職、
個人レベルでもプロジェクトの重要な部分を経験してきた自負がある。
価値観は個人それぞれ。
私の通った道が良いか悪いかの判断は色々議論があるだろう。
しかし私は30を過ぎてからは主体的に仕事をしてきた自負がある。
そして上記の居酒屋での愚痴を隣のテーブルで聞いていると、
「人に話を聞いてもらってストレスを発散するより、
自分の発想を変えてみれば、状況も変わるかもしれないのに」
と思ってしまうのである。
私は昔からテレビもほとんど見ないし、流行にも全く興味が無かった。
画一化していく消費型物質世界には以前から違和感があった。
まず客観的かつ多面的に物事を捉え、すべてを疑ってそこから残った事が真実。
主体は創造性と質を生み出す。
日曜日にそんな事を考えてみる...
この言葉の重要性を痛感するのだが、この言葉を効率や結果に置き換えることもできる。
居酒屋ではよく愚痴を聞く。
「私の仕事ではないのに、やらされる」
「頑張っているのに、売上があがらない」
その他愚痴の内容は色々。
「私の仕事ではないのに、やらされる」の場合、会社の体制に問題があったり、
自分の仕事の取り組み方、人格に原因があったりするのだろう。
「頑張っているのに、売上があがらない」の場合、仕事の質に問題があったり、
商材そのものに優位性が無ければ、もちろん売れるわけがない。
しかし被害者的な発想をしても、自分の置かれた状況が変わることは無いことは
誰だって理解しているのであろう。ただ、その一時のストレスの発散だけ。
根本的に変えようと思ったら、自分の取り組み方を変えるか環境を変えるかしかない。
私は同じ会社に4年以上務めたことが無い。
それが良いことなのか、悪い事なのか分からない。
昔からしんどい仕事(労働時間の割に利益が上がらない仕事)はしたくなかった。
だから色々と考える。
営業の方法、商材の内容、仕入れの方法、品質管理のやり方などさまざま。
だから大手におた時は保守的な重鎮からは敬遠された。
そして部署の幹部に自分が思い描くビジネスモデルを提案した。
そしてそれは表面的にしか検討されることはなく私は会社をきっぱり辞めた。
そして7年経って、彼らは私が付き合っている工場の顧客となり、
再会して私が現在やっている仕事を知って行く中で、
アドバイザー的な外部スタッフの仕事を提案された。
しかし会社に行き、幹部の方達と話をしてみると根本的な事は何も理解しておらず、
ただ中国の事情に詳しく、現地で直接工場を管理できる人材だということで
私をうまく使おうとしているだけだと分かった。
ただ彼らに悪気などない。中国に出張レベルでしか行ってないのに、
理解する事は不可能であろう。だから丁重に断った。
彼らは安い工場を探し、工場もオーダーが欲しいから最初はうまく付き合い、
その後時間が経って問題が多くなり、また別の工場を探すという事の繰り返しであろう。
もちろんその会社の売上は伸びていない。
現在競合企業との消耗戦の最中である。
私は異質で生意気でもあるんだろと思う。
しかし、こうやって行きてきて30過ぎてからは、サラリーマンとしては管理職、
個人レベルでもプロジェクトの重要な部分を経験してきた自負がある。
価値観は個人それぞれ。
私の通った道が良いか悪いかの判断は色々議論があるだろう。
しかし私は30を過ぎてからは主体的に仕事をしてきた自負がある。
そして上記の居酒屋での愚痴を隣のテーブルで聞いていると、
「人に話を聞いてもらってストレスを発散するより、
自分の発想を変えてみれば、状況も変わるかもしれないのに」
と思ってしまうのである。
私は昔からテレビもほとんど見ないし、流行にも全く興味が無かった。
画一化していく消費型物質世界には以前から違和感があった。
まず客観的かつ多面的に物事を捉え、すべてを疑ってそこから残った事が真実。
主体は創造性と質を生み出す。
日曜日にそんな事を考えてみる...