欲望。 | とあるインテリア・家具デザイナーのブログ

欲望。

欲望というものは、誰にでも持ち得るものである。

それは感受性の多感な時期においての受け取り方で変容し、

個人差を生むものでもある。また幼少期の享受環境においては、

受けては選択の余地はないことから、しばしば研究、観察の対象とされる。

またそれは現代の超個人的価値観を容認する時代においてはなおさらである。

貨幣経済における、物質消費的価値観の最上位概念は

「物質消費的生活においての欲求的負荷を取り除くこと」である。

これは倫理的概念とは異なることであり、注意が必要である。

そしてそれは総体的概念の上に成り立つものであり、

人間は個を主体として集団を形成し、その大なり小なりの規模の集団において

実生活を営むが、ここ数年はネットやSNSの大幅な普及により

グローバルに情報を受取り、また配信することが可能になっていることから、

状況はより複雑化し、またそれが社会に及ぼす影響も大きくなっている。

文明化した社会での生活は負荷の享受のバランスである。

「食の負荷」に関して言えば現代ではファーストフードが出回り、

多くの人間の欲求が「健康に悪い食べ物」を「美味しいから食べたい」が上回り、

生活習慣病を誘発する。これらの食べ物は実際のところ、

栄養価が低く、高カロリーなだけの食べ物なので、こうなる結末は目に見えている。

しかし人間はそういった物を美味しいと捉えるようにできている。

イクラ、ウニ、フォアグラ、霜降りステーキ、ラーメン、などなど。

また日常生活でいえば人間への負荷と環境破壊は天秤である。

文明化のなれの果てに我々は後戻りできないところに来てしまった。

もたらす物も大きいが、おそらくは中長期的に見てそれ以上に種の存続を

縮めてしまっているであろうことに気づいている人はかなりいるだろう。

種の存続の基本は「できるだけ小さな地域で生活を帰結し、すべての物質を

できるだけ循環維持する」ことに尽きる。

それは気候や地域的特性に合わせたものでなければならないが、

文明化というものは画一的概念である。

そして重化学工業や化石資源の消費がマクロとなる概念でもある。

中国では昨日から北京、北京周辺の大都市の大気汚染が深刻になっている。

これはテレビでも比較的都合の悪い部分も隠蔽されずに報道されている。

適切な資源の保護も無く乱開発を進めた結果である。

内陸部では飲み水が枯渇している地域もあり、今年はさらに大きな問題と

なるであろう。彼らは他国に配慮なんてことはしない国だから、

南方の水不足に対しては、

メコン川の上流で水をせき止めるなんてことも平気でやるだろう。

実際某地域では以前あった湖の水がすべて組上げられ乾涸びた地域もある。

健全な生とはおかれた環境との実直な対峙、につきる。

そしてそれは消費ではなく循環でなければならない。

多くの日本人は不況が続くなかの生活において、気づきはじめている。

たまに高級外車や高級マンション、優雅な生活をメディアで自慢する時の成金が

いるが、昔と違って今はそれをあがめる人間より失笑として捉える人間のほうが

多いことに気づいているだろうか。知識や感性の裏付けのない悪趣味の成金は

今はネットでの中傷の対象としてしか機能しないのであろう。

現代の人間の欲望は尽きることのない。

そして自分自身に「健全な負荷」をかけることのバランスとの戦いである。