マクロ経済減退と飲食業の飽食化との関係。 | とあるインテリア・家具デザイナーのブログ

マクロ経済減退と飲食業の飽食化との関係。

日本や欧米を見ていて漠然と思うのだが、

タイトルにあげたマクロ経済減退とその国家の飲食業の飽食化は

かなり密接に関係があると思っている。

ただ別に数値化して実証できるわけでもない。

なんとなく漠然とそうなんじゃないかなと思っているだけであるが...

経済とは自由競争による、もしくは定められた取り決めによる企業活動

を主体とした貨幣の流通である。そしてその企業活動とは人間の生命維持に

必要な業態から、趣向的要素までさまざまである。

ただ、それがどんな物であるにしろ人間の本質的もしくは物理的、

物質的欲望に深く関与している物であることは明白である。

現代における人間の生活様式は人間が本来持つべき価値観からは遠ざかり、

超個人的価値観に重きがおかれる傾向が強くなってきている。

離婚や中絶、同性愛といった行為はその例で、国家も法整備においてそれを

容認する傾向が強くなってきている。

話はそれてしまったが、食というのは人間の生命維持に必要な要素である。

食と経済の関連という観点から考えれば、国民全体の最低限の食の欲望を

満たしてしまえば、そこから先は市場の取り合いとなる。

日本では毎日とてつもない量の余った弁当や食材が捨てられる。

しかし飲食業、小売企業は大きな黒字とはいかないまでも利益をだしている。

つまり廃棄する商品(食材、弁当など)は収益を圧迫することになるのだが、

それでも利益が出る仕組みになっているのである。

もちろんこれは、この業界に限ったことではないが、

環境破壊などが叫ばれる昨今では倫理的に望ましいことではないだろう。

コンビニの弁当で見て行くと、鶏肉はブラジルから運ばれ、インゲンは

中東から運ばれる。弁当の価格は500円前後でも、

その背景には食材の輸送などで環境破壊が行われる。

また本来は生命維持であるはずの「食べる」という行為においては、

ファーストフード、ファミレスなどの台頭により、

健康な物を食べる、から好きな物を食べる、に変容し、

それが原因で各種生活習慣病などを引き起こす。

食べる、という行為に選択の余地ができ、その結果好きな物を食べ病気になる。

飲食業はスーパーとな異なり完成品(食べることができる状態のもの)を売ると

いうことで消費者にはなくてはならないものではあるが、

利益中心の考え方から、調味料や保存料にまみれた食事を出すことになる。

もちろん消費者の知識が足りないという理由もおおいにある。

色々書いたが生命維持に必要な食という部分を完全に見たし、

市場が100%以上の状態となり、物があふれ飽和した状態になれば、

マクロ経済の停滞が始まるという推測はあながち間違っていないと思う。

どの業種にしても多かれ少なかれ共通する部分はあるが、

人間の生活の根本的な部分でそれが始まれば、そういった結果になるのであろう。

グローバル化というのはすべてにおいて合理的な反面、

人間の本質とは相反するものだと思っている。

ベストな選択はできるだけ小さい区域で衣食住を完結させることだとも思う。

ただ現代に生きる我々は、そんなことはできない。

なのでどこで線を引いて、どこまで受入れ、どこまでを守るかという問題に直面する。

物欲を捨て去った瞬間から我々は聖人になれるのだが、

現代に生きる我々はそんなことをできそうにない。

時々それについて考えることはあるが、引かれたレールに乗って走ってしまう我々。

奇妙な世の中になったものだ...