知識の深度。 | とあるインテリア・家具デザイナーのブログ

知識の深度。

現代はその大半の国家が民主主義であるからして、

思考の相違が組織を形成し、競合し、大多数の民意を得ることによって

集団の意思決定が成立することとなる。

しかしメディアだったり、直近の政治を見てみても

知識の深度がないばかりに、あまりに稚拙な言論に終始する傾向が

あまりにも多い。

原発や消費税の議論にしてもそう。

消費税にしても賛成と反対、どちらの議論もあるであろう。

しかし自分の主張の裏側に確固とした知識、事実の認識がある場合は少ない。

そのほとんどの人はネットやメディアの浅い知識にまどわされ、

安易な主張に傾いてしまう。

賛成?反対?ということを問うているのではない。

その主張に対して、過去の歴史や事実をキチンと把握して主張を展開するのか?

という問題なのである。

日本人の人間性のその特異性から、上記のような問題はその

論点が時としてすり替えられることが多々ある。

我々は現実の中に生きている。

例えば、毎日部屋のエアコンを20度に設定して、電気を大量に消費する

人間が原発廃止を展開しても、誰もそれに同意しようとはしないだろう。

そんな人間がほとんどだから、事実を認識して専門知識を勉強して

議論を展開しようとする人はさらに少ないのは当然だろう。

思考の浅い人間は自らが知らないうちにプロパガンダになってしまっている

のすら気づかないのであろう。

俗物的な豊かさを求めるあまり、人間の画一化はどんどん進んでいる。

その流行によって時代の寵児ともてはやされたもの、そして流行となって

注目を集めたものも、経済活動という消費のなかにくみこまれ衰退する。

我々は主張の価値を高めるために、その事象の最低限の知識は身につける

必要があるし、事実の認識もしないといけない。

人間、個性なんてものは変わったことをすれば個性と言われる時代。

しかし本当の個性とは、そのスタイルを他人が認めてはじめて個性となる。

それはスタイルに理由があるからである。そしてそれは安易に消費されない。

1つ1つの言動に意味を見つけること、

そしてその裏にあるものを見抜くこと、

とても重要なことであるとつくづく感じる。