意識 | とあるインテリア・家具デザイナーのブログ

意識

上海には多くの日本人が住んでいます。

一説によると変動はしていますが、上海に滞在している日本人は

10万人と言われています。しかしこの不況で多くの日本人が帰任

しており、ピークよりは大分少なくなったと予想されます。

それでも日本人は多いです。

ですので、日本料理屋なんかで日本人を良く見かけるわけです。

そこでビジネスマンのグループが討論しているんですね。

もちろん私たちのグループも。

そこでこんな会話が多いんです。

「個人のポジションをはっきりさせることの自己主張」

◯私は何々のために上海に来た
◯ここでこういった社会貢献をしたい

要するに上海で仕事をしていることの必然性を説いているわけです。

でも観察していると色々な事が見えてきます。

というか色々な事が分かってきます。

まず、事業、仕事がうまくいっている人間は大抵強い主張はしない。

人の聞き役にまわって、的確な意見を述べることが多いと感じます。

逆にうまく言っていない人間は自分の意見を一方的に述べる傾向を感じます。

気持ちの余裕は精神に影響を及ぼします。

「資本主義貨幣経済の時代においては、貨幣の消費という行為において

 ほとんどの有形物質は手に入れることができます。

 私たちは労働の対価を貨幣というもので得、その消費、循環で生活を形成

 してくのです。

 しかし心、精神というのもまた一方で重要な要素です。

 消費、浪費、使い捨て社会でその貨幣の消費の方法を吟味しないと

 自然やこの世の中の有益な要素が欠乏してくのが理解されてきました。

 物は捨てれば、その物が無毒かつ無形にならないと自然はダメージを受けます。

 それが科学物質ならばなおさらです。

 理想は人為的な物を減らし、自然的な物の循環で生活を営むことです。

 自然のもので無駄な物はりません。すべて形を変え有機的に再生します。

 各個人のスタンス、価値観がこれからの世界を形成する重要な要素です」

変なこと、書いちゃいましたね。

お金と心、物質と精神のバランスを料理屋の会話の中で考えてしまうのです。

これからは競争から共存の時代、大量消費から自分を厳しく律する時代へと

変わっていくのではないでしょうか。

自分の存在意義の拠り所は心に強くしまっておくものです。

他人に強く働きかけ、訴えるものではありません。

人間の価値は他人が評価し、認めるものです。

死ぬ時にお金を残しても意味がありません、人を残してこそ意味が

あるのでしょう。

ここ最近レストランでの会話を聞きながら、そんなことを考えます。

私もまだまだ未熟です。

日々考え、自分の至らない部分を考える毎日です。