突然だが、皆さんは「直感」を信じるだろうか。

 

人間の意思決定とはいい加減なものだ。

関連する情報を全て集める能力も、全ての情報を判断に活用する処理力も、どの指標にどの程度の重きを置くかという明確な判断基準も備えていない。

「評価関数」の下で指し手を選ぶ将棋ソフトほど、合理的でも、客観的でもない。

それでも人間は、重要度の差はあれど、日々多数の意思決定を行うことを迫られる。

時として、「直感」に従った判断を行うこともあるだろう。

 

僕は旅になると、日常以上に「直感」を重視する。

不慣れな環境では、判断に役立つ情報が少なく、また合理的に活用することも困難だ。意思決定に使える時間も限られている。そんな時直感は、「行きたいと思った」の一言で、極めてシンプルな道筋を示してくれる。普段と違うことをした方が面白いんじゃないかという好奇心も、直感を後押ししてくる。

今回の旅でも、直感が全面に立って僕を支配した。結果、メジャーな行程から外れてしまう面もあったが、僕個人としては満足している。非常に良い旅だった。そんな旅の軌跡を、振り返ってみるとしよう。

 

1日目「東尋坊」

 

6月23日、県境を跨ぐ移動が解禁されて1週間足らず。

平日ということもあって、羽田空港に人は少ない。想定通りであったが、電光掲示板には驚かされた。

 

 

多少の欠航は予想されたが、まさかここまでとは。航空需要の回復にはまだ時間が掛かりそうだ。

僕の行先の小松行きは問題なく運行しており、無事に現地に到着した。

 

 

目的地「東尋坊」の最寄りこと、芦原温泉駅にて、初のランチを済ませる。

 

 

越前おろしうどんとソースカツ丼のセット。どちらも現地の名物らしい。

地方は店が少なく、運が悪ければランチを逃すおそれもあっただけに、旅は順調な滑り出しと言えよう。

 

そして東尋坊に到着。

今回の旅の事前計画は、ここで途切れている。

宿は決まっているが、1日目の残りの旅程や、2日目の旅程は未定。と言っても、この程度の無計画はいつも通り。

現地の距離感が掴めない状態で、適当に名所を繋いでプランを立てたところで、移動時間ばかりになって観光が楽しめないおそれがある。

現地に着き、ガイドブックで名所一覧と距離感を見比べながら、宿のチェックインを見据えて予定を立てた方が、現実的なプランが立つというもの。

今回は芦原温泉駅~東尋坊間で、お得なバスの周遊パスを購入できた。東尋坊に行き、どの程度過ごせるか様子を見つつ、暇なら途中のバス停で降りてぶらつく程度で良いだろう。

 

さて、話を東尋坊に戻そう。

予想通り、崖がいっぱいあった。が、これだけでは何を鑑賞すれば良いか分からない。

とりあえず崖の方に近づくと、遊覧船の乗り場を発見した。

多分ガイドの説明があるだろう。観光の初手に丁度良いと思い、まずは遊覧船に乗った。

 

基本は日本海を回りつつ、崖の高さや地層の違い、離れ小島(雄島)の説明などがあった。

やはり慣れたプロ、分かりやすい。自分で歩いて回るにも、見るべきポイントが理解できた。

現地で初めて知った話で、不勉強の恥を晒すが、東尋坊の名の由来は、「昔に崖から突き落とされた僧侶の名」だそうだ。

「自殺の名所」という悪評も、昔から続くものらしい。

遊覧船は基本遠くから崖を眺めるだけだが、最も切り立った部分では、船が間近に迫ってその迫力を感じることができた。

 

 

陸に戻り、自主観光開始。

まずは先程の切り立った崖を、上から覗いてみることにした。

 

 

23メートルの高さがあり、なかなか恐ろしい光景である。2歩よろけても落ちない位置から眺めつつ、写真を撮影した。

こういった身の危険を伴う場所に行くと、「恐怖心」は人の防衛反応なのだなと実感できる。蛮勇や狂気によって命を粗末にすることなどない。

東尋坊には基本的に立ち入り禁止区域の表示や柵が無いので、意図せず転落することも十分にあり得る。僕も遠くの岩場まで足を伸ばそうかと悩む場面もあったが、足場が悪そうで、無事に帰れる保証はないのでやめておいた。

読者の方も行かれる際には、仲間内の煽り合いなどで度胸を試すことは避けることをお勧めする。

 

 

サスペンス番組などで、切り立った崖の部分が強調されがちな東尋坊であるが、それ以外でも海沿いに木々が茂る地帯を歩ける遊歩道が整備されている。

崖の色や形状の違いを鑑賞しつつ、波音を聞きながら木陰を歩けるのは爽快であった。

今回の旅の目的の1つに、「引き籠り生活からの体力回復」があったため、機会があれば意識して歩くようにした。ひっそりと整備された遊歩道は、だいたい人が寄り付かないので、感染対策という意味でも有効であった。

元々「火・水」という日程を選んだのも、土日と隣接しない日を選ぶことで人混みを避けるという意図だったが、予想通り、人とほぼ接触することなく、今回の旅を終えることができた。まぁ、僕は元々人混みを極端に嫌うため、平常運転であるのだが。

 

崖の切り立った形状は、数百年、数千年単位で岩が波に侵食されて形成されたもの。

そういった自然の雄大さを感じつつ、歩みを進められたことは光栄であったが、一方で、人間の都合で「自殺の名所」という悪評が付されることを残念だと感じていた。

 

遊歩道を進むうち、東尋坊を離れ、雄島の近くに来ていた。

 

 

離れ小島の無人島で、本土とは赤い橋が架けられている。

赤い橋は江ノ島を参考にしたらしい。

 

 

トトロが出てきそうな入口から、階段を上り島を1周した。居なかった。

 

 

斜めに同じ形状に侵食された岩場があった。

晴れて波が穏やかな日だったので、どう侵食されるか想像もつかなかったが、台風の日に行くのは危なすぎるので、いつ行っても侵食の様子を見ることはできない。

 

島を1周するとすっかり夕方に。

延々と歩き続けていたため、寄り道の暇もなく宿へ向かうことに。

暇が無いどころか、コロナの影響でバスが減便され、直通の最終バスに乗り損ねるという悲劇に見舞われたものの、別ルートでバスと電車を併用して立て直した。

 

 

福井県らしく、名物の恐竜が出迎えてくれた。

 

 

この広い部屋を独り占めできるとは、気分がいい。

 

 

夕食はボリューム満点。塩が置いてあるが、この後天ぷらも追加された。お腹一杯満足じゃ。

 

 

夕食の帰り、キッズコーナーで発見。
隣にはぬいぐるみなど、子供向けのおもちゃが置かれ、普通のキッズコーナーであったが、ここは・・・スーファミ?
スーファミと薄型テレビの組み合わせは初めて見た。
 
非常にどうでもいいが、RTAにはブラウン管テレビがお勧めらしい。液晶テレビだと、映像の情報を液晶ディスプレイに表示できる形に変換するのに少しラグが生じるそうだ。
現代でスーファミゲームを専門とするRTA走者なら、スーファミ+薄型テレビの組み合わせがあり得そうだが、今でもブラウン管が現役という訳だ。
 
 
2日目「金沢」
 

 

朝食も盛り沢山。

しっかりエネルギーを補給し、2日目の観光に臨む。

 

宿の女将さんから親切な助言を貰い、ノープランだった旅の行先は金沢に決まった。

福井の他の箇所を回る案と悩んだが、恐竜の博物館が休館日らしいと教えてられたのが決め手だった。

電車の時間に間に合うよう、芦原温泉駅まで送迎してもらい、万端の状態で県を跨いで金沢に向かった。

 

 

観光マップを見た瞬間、僕に合った街だと感じた。

「狭い区間に観光地が密集している」のだ。

ある名所に行って、次にバスを乗り継いで・・・という繰り返しになると、観光しているのか移動しているだけなのか分からなくなるし、事前に乗換順を決めておく必要がある。

 

「とりあえずこの道を進めば名所に行き着くだろう」

 

位のノリでぶらつくのが、ノープラン旅の醍醐味であり、時に偶然の出会いがある。

兼六園に行くことだけ決め、後は名所のありそうな通りをぼんやり歩いていると、今回も出会いがあった。

 

 

道沿いでふと見つけた施設。

観光マップにも存在だけは書かれていたが、完全にノーマークであった。

チラッと中を見たら、客の様子は全くない。

一方で時計を見ると、10時43分を指していた。

11時から始まるという聴き比べの実演には丁度良い。

 

判断の時だ。

 

タイムリミットは16時。小松空港発の18時の便に乗るのであれば、移動や保安検査に掛かる時間を考慮すると、2時間の余裕が欲しい。

ノープランの旅で、金沢にどの程度の名所があるかを知らなかったが、想像以上に盛り沢山だ。

蓄音機館に行かず、名所周回に時間を全振りしても回り切れないだろう。

そんな中、時間を浪費する訳にはとも思ったが、

 

入った

 

何故かという問いには、「直感に従った」としか答えられない。

面白そうだと感じただけだ。

ありきたりな旅ではない、自分だけのオリジナルチャートが切り開けるのでは、そんな期待もあった。

 

写真NGで、中の様子をお伝えできないのは心苦しいが、実際、入った価値はあった。

エジソンの発明から、昭和のレコードに至るまで、記録様式や材質の差など、時系列に説明を受けながら、10機の蓄音機の聴き比べをすることができた。

音を記録するメカニズムなら「物理」、発明が人々の生活様式を変えたという意味なら「歴史」、記録媒体が鑑賞方法を変えたという意味なら「音楽」と、多様な分野に関連する話を聴け、知的好奇心が満たされた。

小学生の頃、意図がよく分からず受けていた「総合的な学習の時間」という授業であるが、物事を総合的に、多角的な視点から見る力を養うという目的では、「蓄音機」という題材は面白いかもしれないなと思った。

 

聴き比べや展示品の鑑賞を終え、兼六園に向かおうかと思っていた時、ガイドの方から思わぬ誘いを受けた。

 

「レコード、聴いてみませんか?」

 

誘われた以上、断る道理はない。

生まれた時からCD環境の僕にとって初めての体験である。

聴き比べた蓄音機は大正時代までの型で、ノイズ混じりの音質であったが、そこからどう改良されていったか、「昭和のLPレコード」の実力を見たいと思った。

 

「どんな曲が好きですか?」

 

返答に詰まる。

当然、レコードで聴く曲選びに関係する質問だ。

アニソンは勿論、最近の曲は全てアウトだ。

 

とりあえず曲目を見せてもらったが、予想通り、クラシックか昭和の歌謡曲のどちらかであった。

昭和の歌謡曲は、年上の人とのカラオケで年齢を疑われる程度に、人並み以上に詳しい自信はあるが、取り立てて好きな曲は無い。

一方クラシックは、即興でお気に入りを挙げられるほどの教養は無い。高校の音楽鑑賞の行事で爆睡したこと、教科書の作曲家の顔に落書きをしたことを思い出し、今更になって不真面目な受講態度を恥じた。

結局、

 

「ベートーヴェン 第五 『運命』」

 

という、誰もが知る選曲にならざるを得なかった。

とはいえ、悪い選択肢では無いと思う。

レコードの音質を試す上で、出だしの「ダダダダーン」という特徴的な部分は良い試金石となるだろう。

多少他の曲を知っていた位で、選択肢が変わるとは思えなかった。

 

ガイドの人がレコードをセットする間、昭和の曲目を見ていたが、ここで運命の出会いがあった。

思わず胸が高鳴った。

無いと思われていた、お気に入りの曲があったのだ。

とはいえ、気付いた時にはレコードのセットが終わっていた。

2曲目のチャンスがあることを祈りつつ、まずは第五を聴くこととした。

 

流石は昭和のLPレコード、音質が大幅に改善され、ノイズは感じない。

上手くは説明できないが、レコード特有の味のある音に仕上がっている。未だにレコードを愛する人が居るのも頷ける。

とはいえ、感想はその程度だ。

知っているという程度で、特に思い入れのある曲ではない。

 

「2曲目はいかがですか?」

 

その言葉を待っていた。

来館客は僕1人。

幸いなことに、僕の応対に専念してもらえる状況が整っていた。

僕はとあるグループの名を告げた。

 

 

TM Networkといえば、90年代を席巻した名プロデューサーこと小室哲哉氏が在籍したグループで、「シティーハンター」の主題歌「Get Wild」が有名である。

が、僕が一番好きな曲は「Self Control」で、丁度そのレコードが存在した。

サビの一部の歌詞を出すと、

 

Self Control 教科書は何も

Self Control 教えてはくれない

Self Control 明日のことなど

Self Control 誰も分からない

 

同様のやり取りが延々と繰り返される。

一見単調な繰り返しで、飽きてしまいそうだが、テクノ調のリズムに乗り、飽きることなく流れていく。

初めて聴いた時に衝撃を受けた。

 

「こんな曲は聴いたことがない」

 

普通の曲はフレーズを繋げてメロディーが成り立つのであり、ワンフレーズごとにブチブチ切れる構成はあり得ないと思っていた。

こんな常識を覆す曲が30年以上前に存在していたとは、驚く限りである。

手持ちのCDには収録されていない曲で、You Tubeで初めて聴いたのだが、古い曲だけあって、音質に不満があった。

 

レコーディング版の綺麗な音質を聴くこと自体初めてというのもあったのか、レコードで聴くと改めて鳥肌が立った。

ボーカル、ドラムなどの楽器、テクノの電子音が打ち消すことなく残り、特徴を余すことなく聞き取れた。

この旅で初めて感動を味わった瞬間であった。

「Self Control」は、1990年以前という非常に特殊な範囲ではあるものの、TM Network以外を含め、文句なしで僕が一番好きな曲と言えよう。

 

改めて、TM Networkというグループの先見性を感じた。

今聴いても古臭くなく、ある種の目新しさを感じる。

そもそもグループ名に「Network」が入る時点で凄い。現代ならともかく、インターネットが未発達の時代に「Network」という単語を使おうという発想に驚くばかりだ。

 

そんなこんなで、蓄音機の館を出た時には12時半になっていた。

遠路はるばる金沢まで来て、レコードを2時間聴いていたことになる。

 

しかし、これも旅の1つの楽しみ方だと思う。

物理的に現地でしか出来ないことをするだけが旅ではない。確かにレコードは東京でも聴けるかもしれない。だが、音楽愛好家でもない僕に、日常で「レコードを聴く」という選択肢が現れるだろうか?心理的に選択肢に含まれないのであれば、物理的に出来ないのと大差ない。

「レコードを聴く」という体験から感動を得られたのであれば、旅で訪れた価値は十分にあると、僕は思う。

 

 

さて、話を観光に戻そう。

時間はお昼時。まずは腹ごしらえだ。

 

 

金沢名物の1つ、カレーだ。

東京では「ゴーゴーカレー」がチェーン展開されているが、ボリューム満点でガッツリ食べるというスタイルは本場でも同様である。

カツ、ハンバーグ、ウインナーと、「とりあえず好きな物を入れちゃえ」感溢れる一皿は、まさに贅沢の極みであった。

大食でない僕は、日頃だと敬遠するボリュームだが、旅で歩き回ったこの日だけは余裕で平らげた。

 

残り時間は本丸の兼六園へ。

まずは近くの金沢城公園を散策。暑い・・・

 

 

この日の最高気温は30度オーバー。

当然のようにシャツ1枚+短パンの最薄着セットだが、それでも頭がボーっとする程度に暑い。

バッグには中途半端に残ったポカリが。

量が減っているだけではなく、時間が経ってぬるくなっている。危ない。

意志力で何とか意識を保ちつつ、兼六園を訪れた。

 

 

奥に滝が見え、水の流れる音がする。目と耳で涼しいのは有難いが、触れて冷やさないと熱気は収まらない。

完全に思考停止状態の僕は、複雑に入り組んだ園内を、ただ水の流れる音に釣られて歩いていった。

盲剣の宇水の気持ちがよく分かった。

結局、なるべく木陰を選んで進み、手が届くほど水面に近い川を見つけると水を汲んで体を冷やし、やっとの思いで自動販売機を見つけた。

飲み物を中途半端に残すのは良くない。

 

 

木陰から池を眺めるスポットで寛ぎ、完全に意識を回復してから再度園を回った。

 

 

最後はおやつに抹茶と和菓子のセットを頂いた。

茶道がド素人過ぎて、よく分からずに器を回しながら抹茶を頂く始末。

アレはなんでやってるんだろ・・・?

茶室には誰も居なかったため、特に恥をかかずに済んだが。

やはりゆるゆりを読んで茶道を学ばないとな。(部室だけ)

 

 

長くなったが、今回の旅の模様は以上である。

歩き回った上、帰ってすぐに旅行記を書いて疲れた。

今回の一番の思い出?言うまでもないだろう。

 

 

「金沢でレコードを聴いたのが一番の思い出です」と言っても理解されないだろうが、旅の楽しみ方なんて人それぞれだ。

ともかく今日は疲れた。

ゆっくり眠れることだろう。

そして、

 

明日は筋肉痛で動けないのだろう・・・

 

(おわり)