時間や社会に囚われず、幸福に空腹を満たすとき、
つかの間、彼は自分勝手になり、自由になる。
誰にも邪魔されず、気を遣わずものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが、現代人に平等に与えられた最高の癒し、と言えるのである。
2月6日(水)11時50分
午前の授業が終わった。
今俺は留学先のバンクーバーに来ている。
都会の喧騒も、煩雑な業務も忘れ、英語学習に明け暮れている。
「仕事が無いなら楽だろう?」
いや、そんなことはない。
日々黙々とPCに向かう俺にとって、英語で周りの話を聞き、また自分も英語を話すという行為は不慣れであり、疲れが溜まる。
また、周りは体格と声が大きく、テンションが高い外国人ばかりだ。
彼らの勢いに押されると、更に疲労度が増す。
朝8時半から長々と授業を受けていると、
腹が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
減った!!!
お昼の時間だ。
本来はクラスメートとの親睦を深める時間なのだろうが、あいにく俺にそんな余裕は無い。
一刻も早く、英語と異文化に奪い去られた活力を取り戻さなければならない。
カナダに来て3日、そろそろ日本食が恋しくなる頃だ。
日本人としての俺の魂を呼び覚ましてくれる食べ物。
ふふっ。目星は既に付いていた。
今日のお昼は鉄板焼きだ。
日本食か、中華かよく分からん店だが、鉄板焼きとくれば、カナダの料理よりは身近なはずだ。
謎の鉄板焼き丼は10ドル(約900円)、そしてコース料理は最低でも16ドル(約1500円)と値は張るが、ランチの時間は大事にしたい。
店に入ると、そこは高級な日本料理という佇まいで、静謐な雰囲気が漂っていた。
「詫び」と「寂び」の世界。
シェフとウェイターはアジア系の、おそらく中国人だろうか?
日本人に近いキャスティングをしたところからも、日本風に近づけようという心意気が感じられた。
俺は16.2ドルのシーフードの鉄板焼きコースをオーダーした。
お茶が運ばれてくる。
これだよ、俺が求めていたのは。
コーヒーでも、炭酸飲料でもない。
心を落ち着ける熱さ。口の中を支配しない、あっさりとした味わい。それでいて、ほのかに感じる茶葉の香り。
日本で飲んだ風味に及ばずとも、俺の中の時計の針は確実に日本に居たあの頃に戻っていた。
まずは味噌汁が運ばれてきた。
ふふっ、「何でレンゲが刺さってるんだ!???」と騒ぐ年頃は過ぎた。
ここはカナダだ。
これは味噌汁ではない、「Miso Soup」なのだ。
レンゲを抜き、箸を取り出し、あくまでも日本風にこだわるという意地は捨てた。
レンゲで出された以上、レンゲで頂くのが筋ではないか。
箸とは違う食感を楽しむのもまた一興。
海外の日本「風」料理を食べる時には、違いを受け入れる器量の大きさが求められる。
では、味わうとしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふふっ、出汁の旨味が薄いな。
味噌の塩味が強い。
だが、まぁ良い。
具はネギ、豆腐、わかめの王道3点セット。
基本に忠実で、日本の味に近づけようという強い意思を感じた。
味ではない、その心意気こそが、俺の意識を日本に引き戻してくれた。
俺は今、猛烈に感動している・・・!
味噌汁を味わっていると、静けさ漂う店内に、ようやく鉄板焼きの音が響き始めた。
味わうまでもない。
音だけで分かる。
万能の利器こと「鉄板」の手にかかれば、あらゆる料理が絶品の味となるのだ。
だが、焼かれているのは、俺の注文したシーフードではない。
これは一体、何を作っているのか・・・?
焼く光景を見ていると、徐々に察しが付いてきた。
最後に醤油を回し入れ、俺の皿に盛って完成した。
そう、炒飯だ。
日本料理ではない。だが、醤油で味が付いており、茶碗に盛られている。
あくまでも日本風を意識したのだろう。
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ふふっ、鉄板で作る炒飯に外れなどあり得ない。
鉄板上に薄く広げることで、熱が満遍なく通る。
失敗例として挙げられがちな、一部に熱が通らず、水分が飛ばずにべちゃっとすることが無い。
更に俺は、パラッとした食感の中に、もちっとした芯のある味わいを感じた。
残念ながら、カナダで食べた米は、パサついた食感で、日本で食べるようなもちもち感が無い。
炒飯となり、水分が飛んでしまっているが、俺が食べたのは、間違いなく日本の米か、それに近い品種のものだ。
茶碗に盛るという形式など些末なことだ。
日本の面影を呼び起こせるか?
その意味では、間違いなく合格点と言えよう。
炒飯の次は野菜だ。
シャキシャキした食感を残すことは勿論だが、熱を通すことを忘れてはならない。
ただ鉄板の上で焼くだけでは、熱が通る前に焦げてしまう。
「蒸し焼き」という工程を辿ることで、野菜に確実に熱を通すことができる。
当然、蒸し過ぎるとシャキシャキ感が失われてしまう。
加減が難しいが、この店のことだ。
きっと、俺を満足する食感に仕上げてくれるのだろう。
そして奥では、シーフードの下拵えが行われていた。
胡椒で味を締め、鉄板に放たれる時をただ待つばかりであった。
野菜炒めが完成した。
ただ食べるだけではない。
奥には3種のタレが用意されている。
英語の説明を聞き逃してしまったが、左から酢、焼き肉のタレ、ケチャップと並んでいる。
たかが野菜炒め、されど野菜炒め。
タレを付けて食べるとは、粋な計らいである。
3種を食べ比べてみた・・・・・・・・・・・・・・・・・
エバラ1強環境
だな。
バリエーションを出そうという挑戦心は評価するが、酢とケチャップとは奇を衒い過ぎたようだ。
何人も、焼き肉のタレの暴力的な旨さに抗うことはできない。
酸味など要らない。
旨味さえあればいいのだ。
だが、酢とケチャップにも活躍の機会があるのかもしれない。
まだ野菜しか食べていない。
次が最後、かつ最強のメインディッシュである。
写真の奥の方で見づらくて申し訳ない。
シーフードの正体とは、焼き鮭、海老、帆立の3種であった。
魚、甲殻類、貝の代表選手が集う魚介の大運動会に、恐る恐る足を踏み入れる。
鮭・・・エバラだ!
帆立・・・エバラだ!
攻撃力が全て。エバラが強すぎて、他が太刀打ちできない。
最後に取り残された海老。
お前もまた、エバラという魔海に呑まれてしまうのだろうか・・・?
その時、ふと海老の形状が目に入った。
あれっ、あの姿、何かの料理で見たことが・・・
ふふっ、思い出した。
俺の意識はあまりにも日本の世界観に染まり過ぎていた。
日本に染まるだけでは不十分であった。
カナダから日本、そして更なる跳躍を遂げる必要があったのだ。
そう、
エビチリ
だ!
香港料理と書いてあったではないか。
この事実に気づけたか、気づかずにエバラの支配に屈するか、この差はあまりにも大きい。
確かにチリソースは無い。
だが、エビチリを彷彿とさせる色合いが、そこにはあった。
ケチャップ
俺の出した解が、エバラ1強環境に一石を投じる結果となった。
こうか は ばつぐんだ!
エバラが席巻しつつあった勢力図に、ただ1人、新たな対抗勢力が立ち上がった。
数では遠く及ばない。エバラを駆逐するには至らないが、ケチャップもまた、確固たる地位を築いたのであった。
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(後日談)
素朴な料理であったが、だからこそ思い起こすものがあった。
日本料理の世界観。
焼き肉のタレの旨さ。
そして、最適な食べ合わせを求める探究心。
この鉄板焼きは、俺の中に広がる精神世界を十二分に満足させてくれた。
現実に帰った俺は、会計を頼んだ。
コース:16.2ドル
チップ:3ドル
消費税:0.8ドル
炒飯:3ドル
合計:23ドル(約2000円)
決して安くはない。
早口で、炒飯にするか、白米にするかを聞かれたときは、落ち着いて選びべきだった。
だが、結果的にはこれで良かった。
炒飯を鉄板で作るという行為もまた、焼く光景を目で味わい、耳で味わい、最後に舌で味わうことができた。
豊かな体験に、出費を惜しんではならない。
満たされた精神で、俺は午後の授業へ向かうのであった。
(完)