「じゅげむ」

 

確か5年の頃、国語の教科書で見かけた記憶がある。

タイトル名を平仮名で覚えているだけで、当然内容は忘れてしまったが、確か昔っぽい笑い話で、落語と関係ある気がした。

 

「おや、寿限無を知っておるのかい?」

「もう忘れてしまったけど、昔教科書で見た。じゃりじゃりとかぽんぽことか意味の分からないことを言っていた気がする。」

「なら、寿限無がどんな噺かを説明しようかの。」

「待っておばあちゃん、私は落語をするなんて一言も!」

「まぁまぁ、説明くらい聞いても罰は当たらんじゃろ。」

「分かったわ。説明だけなら聞いてみる。」

 

「寿限無というのは、和尚さんに色々教えてもらった親が生まれた子供にめでたい名前を付けようとするお話なのじゃ。」

「ふーん、名前を付けるだけのつまらなさそうな名前ね。で、何て名前なの?」

「寿限無寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処 藪ら柑子の藪柑子 パイポ パイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」

「待って、これ全部が名前なの!?」

「そうじゃ。この寿限無寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の・・・」

「おばあちゃん、2回も言わなくていいよ!」

「そう、噺の最後は今のように、この寿限無寿限無・・・おっとすまぬ。また言いそうになったわい。この子の名前を何度も連呼している間に長い時間が経過するというオチになるのじゃ。」

「ふーん、その長い名前には何か意味があるの?」

「そうじゃ。1つ1つに意味がある。この本に書いておるから、読んでみなさい。」

 

おばあちゃんから渡された本には子供の名前の由来が分かりやすくまとめてあった。しかし、寿限無の話題になった時にちょうど良く手元の本に内容がまとめられているなんて都合が良すぎる。

これはきっと、会話形式でいちいち説明するのが面倒な作者が、楽をしようと本に書いてあるという形式にしたに違いない。

 

(んっ、作者って何の話だろ・・・?まぁいいわ、早速本を見てみましょ。)

 

本の中の「じゅげむ」のページを開いてみた。へぇ、漢字だと「寿限無」って書くのね。名前の由来は・・・

 

寿限無

→限り無い幸福のこと。

 

五劫の擦り切れ

→本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。言い回しのために「ず」が省略されてしまうことがあるらしい。天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。

 

海砂利水魚

→海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ。くりーむしちゅーの原材料ではない

 

水行末雲来末風来末

→水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ。おそ〇さんの兄弟ではない

 

食う寝る処に住む処

→衣食住の食・住より。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。衣は要らないらしい

 

藪ら柑子の藪柑子

→やぶらこうじのぶらこうじ、とも。「やぶらこうじ」とは藪柑子(やぶこうじ)で生命力豊かな縁起物の木の名称。「ぶらこうじ」はやぶこうじがぶらぶらなり下がる様か(?)単に語呂の関係でつけられたようにも思える。

 

パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナー

→唐土のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。グーリンダイはシューリンガンのお妃様で、あとの2名が子供(娘)達という説も。

 

長久命

→文字通り長く久しい命。また、「天地長久」という読んでも書いてもめでたい言葉が経文に登場するので、そこからとったとする説も。

 

長助

→長く助けるの意味合いを持つ。

 

 

ふーん、ただ長いだけじゃなくて、ちゃんとした意味があるのねぇ~

ちなみにこの説明は、「うぃきぺでぃあ」というところでも読めるらしいわ。

ちゃんと出典を記載するなんて、几帳面な作者さんね。

 

・・・って私に何言わせてんのよ!

説明の中に所々ネタが入っているし、やっぱり不真面目な作者さんに違いないわ。

ま、まぁそもそも作者って何のことかさっぱりなんだけどね!

 

「寿限無」の話を聞いた私は帰宅してほっと一息。

ただおばあちゃんに泣き言を聞いてもらおうとしただけなのに、まさか落語の話を聞かされるとはね。

色々新しい話を聞いているうちに、嫌な気分が吹き飛んだから別にいいんだけど。

おばあちゃんは私にやってほしそうな様子だったけど、やる機会も自信もないし、多分無理だろうなぁ・・・

 

寝る前に明日の準備をしようと今日もらったプリントを整理していたら、「11月24日 みんなで出し物を見せ合おう!」というプリントがあった。

ふぅん、金曜午後の授業が無くなるのね。そういや、私も何かしないといけないのか・・・

そう思った時に、1つの考えが頭をよぎった。

 

「落語」

 

今日は10月30日。まだ時間はある。

しかし、いきなり私にできるだろうか?いや、みんな出し物をする中で演じるのだから、不自然さはない。

むしろ、何のきっかけもなくみんなが集まったところで落語をするという方が無理がある。

 

これはチャンス。そう思った時、明日の放課後の行き先が決まったのであった。