先月、法然の展覧会に行った時、徳川家康の写経が展示してあって興味深く観た。
10年前奈良に旅行に行き、薬師寺に寄った時、中で写経が行われているのに参加したことがある。 大広間に写経用紙と筆が用意されており、大勢の人が黙々と写経に打ち込んでいた。
一枚の写経が終わると、自分の名前を書いて納めてもらった。
経を書くことだけに集中する時間を持つことがとてもいいものに思えた。
振り返ると、文字を書かなくなって随分になる。 40年程前にパソコンが入ってきて、かな漢字変換のワープロを職場で使うようになって以来、手書きで文章を書くということは無くなった。
先日TVを観ていたら高齢者の趣味として写経が取り上げられていた。
字を書かなくなってから、漢字をどう書くのかを思い出せないことがあり、これだと思った。
早速、アマゾンで写経用紙を注文した。
漢字をなぞることで書道の練習にもなる。 この時間は仏教の修業をしているような感覚にもなる。
父親は高齢になってから書道に打ち込み、師範の資格をもらうまでになった。
家の中は書道の額でうまっていた。
書道教室を開いて弟子を教えたり、自分の展覧会を開いたりの余生を送っていた。
父親の域には無理であるが、趣味としてなら書道を兼ねた写経は、良さそうである。