正月に小学校時代の思い出がよみがえる出来事があり、それとともに実家での生活を思い出した。
実家は農家をしていた。田圃が少なかったので、父親はいろんな作物を育てていた。みかんがブームになるとみかんを始めた。 みかんは裏山を開墾して幼木から育てた。 今では考えられないが、開墾請負人みたいな人を雇って、つるはし一本で手作業の開墾である。 たばこが現金収入になるといってタバコ栽培も始めた。 たばこ栽培はつらい仕事である。 夏の暑い盛りに松脂のようにねばりつく収穫したたばこの葉を1枚1枚縄に結び、3階建てくらいある乾燥小屋に汗だくになりながら吊るす。あとは数日間火を入れて葉が黄色くなるまで乾燥させる。 乾燥が終わったら、葉を規格にあわせて梱包出荷する。
しっとう(正しくは七島藺)というものも栽培していた。これは畳表の元になるい草である。 しっとうは夏、2~3mに成長すると一斉に刈取りが始まる。 刈取りは朝暗いうちに始まる。刈り取ったしっとうの茎を半分に裂く。 裂くための専用の道具があった。 ピアノ線をコの字型の木枠に張ってしっとうを1本1本ピアノ線で裂くのである。この作業を日が昇る前に終えなければならない。蚊に刺されながら家族総出で行った。半分に裂いたしっとうはその日のうちに乾燥させる。乾燥のため2キロほど離れた海岸まで行く。当時は車社会の始まる前で村には1台の自家用車もなかった。 馬車で行くのである。 海岸にはそれぞれの家が使える砂浜があり、簡易な小屋もついていた。 しっとうを焼けた砂浜に広げる。 あとは乾燥するまで大人は小屋の中で休み、子供は海水浴で遊んだ。 昼になると持ってきたおにぎりを松林の日陰で食べるのが楽しみだった。運の良い日は浜でイワシが取れ、とれたイワシをゆでたものが食べられることもあった。夕方乾燥したしっとうを馬車に積んで家に帰る。夏休みの間中これを繰り返した。
秋になると畳表作りがはじまる。家に大型の機織り機のようなものがあり、夏に乾燥させたしっとうを1本1本編んで畳表にするのである。母親が昼間の作業を終えた後夜なべ仕事で織っていた。 1枚織り上げるのに数日かかったと思う。 織りあがった畳表がある程度たまると、仲買の人が集めに来て代金をもらう。1枚いくらで売っていたのであろう。貴重な現金収入には違いなかった。戦後10年たった頃の杵築の実家での暮らしである。貧しかったけれどそれが気にならない生活だった。