今年2月、東京都日野市の高幡(たかはた)不動を訪れましたニコニコ


と言っても、東京では割と人気の高幡不動尊が目当てではございません、目的は隣の山にある高幡城です照れ 

高幡城は歴史が不明な点が多いのですが、立河原合戦(関東公方・足利成氏vs関東管領・山内上杉氏・扇谷上杉氏の戦い)で敗れた犬懸上杉氏・上杉憲秋(憲顕)が、1455年(享徳4年)ここ高幡不動まで逃れて自刃していますナイフ


1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏照の家臣・高幡十右衛門が城主として北国軍の前田利家や上杉景勝の軍勢と戦った、または東京都檜原村の檜原城を本拠としていた平山氏が城主だったという説などがあるようですカブト

高幡不動尊金剛寺は新選組の土方歳三の菩提寺としても知られ、裏山にある高幡城は「八十八ヶ所巡礼のお遍路コース」になっていますニコニコ


まずは高幡不動尊を参詣します照れ

新撰組の土方歳三の像があります爆笑

凛々しいラブ

下矢印土方を偲んで、キャップはもちろん新撰組で訪れました爆笑 
高幡不動尊が通称である高幡山明王院金剛寺は、真言宗智山派別格本山の寺院ですニコニコ

草創は大宝年間(701 – 704)以前ともされていますが、寺伝によれば平安時代初期に円仁(慈覚大師)が東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされています照れ


成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一つとされています(三大不動の3つ目は複数あり)お願い


下矢印重要文化財の仁王門ニコニコ

下矢印境内マップ

仁王門を抜けると重要文化財の不動堂下矢印

ひときわ目立つ五重塔下矢印

この地で自害したとされる犬懸上杉氏・上杉憲秋(憲顕)の墓所があります下矢印

上杉憲秋は上杉氏憲(禅秀)の子で、応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱の際は父に従い参加しながら命を永らえ、享徳3年(1455年)から始まった関東公方・足利成氏vs関東管領・山内上杉氏・扇谷上杉氏享徳の乱の際には上杉方として参戦しましたカブト

享徳4年(1455年)の分倍河原の戦いにおいて先陣にあり、成氏の猛攻に敗れ、この高幡不動の地において自刃しましたナイフ
さてようやく本題爆笑

裏山の高幡城は「八十八ヶ所巡礼のお遍路コース」になっていますので、いざ入城ニコニコ

裏山は88体のお地蔵さんを巡るコースになってます走る人


城の遺構はさほど残ってないですが、山城の雰囲気はバッチリあります爆笑

主郭に登りますニコニコ

主郭が山頂になります照れ

余湖くんのホームページより、縄張り図お借りします下矢印

眺望もなかなか素晴らしいですラブ

一旦主郭を降りて、南側を攻城しましたニコニコ

余湖くんのホームページより下矢印

見晴らし台へ走る人

富士山が見えましたチュー富士山 

降りると平場がありましたニコニコ

マップでは馬場跡と書かれてます照れ

主郭へ戻ります走る人

下矢印ん⁈土塁⁈

とりあえず乗ってみましたグラサン

再び主郭へ登ります走る人

主郭から2郭、3郭へ降りていきますおねがい

余湖くんのホームページより下矢印

2郭から3郭へ虎口がありますチュー

もちろん石垣や石畳は当時のものではないでしょう照れ

虎口を出ると堀切もあります爆笑

堀切下矢印

3郭へニコニコ

3郭からも富士山が見えますラブ

麓へ降ります走る人

以上で攻城終了爆笑


今回が2度めの訪城で、ハイキングがてら来ましたが、山城の雰囲気が意外に残っているのを再発見しました照れ