後北条氏が治めたあと、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城し、徳川家康の関東入封に伴って、榊原康政が10万石で城主となり、石垣や天守を持つ近代的な城となりました。
その後、「生類憐みの令」で有名な徳川5代将軍・綱吉も城主をつとめましたが、嫡男の徳松が急死すると廃城となります。
その24年後の1707年(宝永4年)、6代将軍・家宣の弟、松平清武が入城し、以降は太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と頻繁に城主が替わりましたが、1874年(明治7年)に火災で城のほぼ半分を焼失、焼け残った城内の建物も取り壊されてしまいました
城址には市役所などが建てられてます。
まずは市役所の隣りにある図書館の中の第一資料館でお勉強
徳川綱吉の頃は25万石の大藩で、城もそれに相応しい巨大な城郭だったようです
資料館は無料で、いろいろな市の資料もありました
お、都はるみ
資料館を出て、いよいよ攻城開始です
第一資料館の辺りは三の丸(三郭)です、これは土塁でしょうか
復元されている土橋門を目指します
土塁沿いに歩きます
土橋門に到着
同じ徳川四天王・井伊直政の彦根城と対照的に、あまり城らしさはない館林城ですが、この門は数少ない城の復元建造物です
かつての三の丸
さらに歩くと千貫門跡
さらに東へ進むと二の丸
そして本丸
本丸には八幡宮がありました
しかし鳥の巣だらけでキョーレツなフンの臭いで近づけませんでした
本丸の土塁
さらに歩きます、もはや街ブラですね
第二資料館には当時の石垣がありました
以上で攻城終了
知名度の高い城ながら、城としてはほとんど見る影もなく寂しい限りですが、少ないながらも面影はあって、街ブラとしては面白かったです