ちょうど今、音楽の神様が通りかかったのか、湧き上がってきたメロディがあり、ゆらゆらと頭の中を泳ぎだしたので、逃げてしまう前に生け捕りにしなければ!と鍵盤の前に座ったのですが、機材のなにかの不具合で音が出ない、、という悲しい深夜。とほほ。

忘れないようにメロディ自体はばっちりボイスメモに封じ込めましたが、機械音痴も相まって、作業をし出すのは明日になりそうだなと思ったので、今夜は諦めました。お湯を沸かし、あったかいお茶を飲みながら、ブログを書いています。





さて。この秋の蒼山はというと、


THE ホットケーキの感じなものを食べたり








素敵なひとたちと焼酎飲んだり









NOPEを見てピザ食べたり








ペリカンのおいしいパンを食べたり






猫の顎下の日陰のような三角地帯を眺めたり






芸術的に美しくておいしいかぼちゃパイを頂いたり





逆に猛烈に来客用に大量の夕飯を作ったりしていました。






毎度のことですが、こうして並べるとほんとうに写真フォルダが食べ物だらけで、震えます。🙀









気がついたら本棚に短歌の本が増えてきました。

五七五七七の言葉の景色。さっと心に流れ星が流れるようで、おもしろい。

どんな角度からか、どんなルートの閃光かは書く人によって違うけれど、ぱっと何かが照らされたり、刺されたりする。

まるで前後左右がなくなるような、過去と未来の垣根がなくなるような。瞬発的な、でも日常の中に潜んでいる普遍的な光とか、闇とか、祈りとか愛のようなものが、言葉の組み合わせの妙でシュっと駆け抜けていく感じ。





歌詞はまた種類が違うけれど、こんな風にさりげなくて、一瞬で、風のようで忘れそうな。でもなぜかもう一度思い出したくなるような。こういう余韻を残せるようなものが書きたいなあ、なんてことを、ぼんやりと思います。






気がつけばもう冬がそこにきていて、毎年のことながら、時間の速さにびっくりします。

変わり映えのなさに安心しながら、しかし確実に去年とは違う出来事あり、違う今があって、振り返るとそれなりに日々が花束のようになっていて、当たり前のことなんだけど、人生って不思議だなあと。



わたしはたまに呑気に眠っている猫を見ているだけで、この先一緒にいられる時間のこととか考えて、めそめそ涙が出てきたりするところとかがあるんですが、

そしてそんな感じで出会った事や人や場所のありがたさを、思いすぎてしまうところがあるのですが、大切にしたいからこそ力まず、抱きしめすぎず、今に居たいなあというのは、ひっそりと永遠の課題。課題と言ったら深刻すぎるけど。その力加減を少しずつ見つけていきたいな、ということは、年々思うようになりました。

頭で考えている間に、目の前で流れてしまう素敵な景色や、無口な奇跡がたくさんあるから。

体ごと、今の中に参加できたら一番。

でも前よりはふわっと生きれるようになってきた気がするので、それだけでいっか、という感じでもあります。





めそめそしていたら、面倒くさがりながら胸を貸してくれた。笑

なんだかんだ男前である。




11月は、なんだか素敵な数字で好きな月。

根っからの冷え性が発動して、すでに手足が雪女のようなわたしですが、あったかいものを摂取して今年も生きます。



みなさまも体に気をつけてね。