9月になった途端、めっきり肌寒い。

なんだかもう夏が懐かしくなるような。


秋めいてきた服が着れるのは、うれしい。

ちょっと背景が映せる感じでなかったので、雑コラふたたびの蒼山。

なんとなくの秋感。





ここ最近のわたくしはというと、とある作詞のお仕事をしたり、蒼山幸子アルバム曲のミックスチェックをしたり。

緩やかな日もあれば忙しい日もあり、静かに波はあるのですが、ひとつひとつ楽しく向き合いながら過ごしております。



今は昨日Netflixで配信が始まったらしいミッドサマーを流しながら、これを書いております。

アリアスターの狂気、こわいけれど色彩鮮やか。😿




劇場では最近、シャマラン監督の新作、「OLD

」を見ました。シャマラニスト、と言えるほど詳しくはないけれど、好きな気持ちだけで言えばそう言いたいくらい、好きな監督。

相変わらずの不穏な画角とトーンや、シュールすぎて笑える怖さがあるところや、今回もしっかり監督自らカメオ出演しているどなど、味わえて楽しかった。

今回の作品はわりとスリラーの割合は高めに作られていたけど、ふとした瞬間に生きていることの切なさみたいなものがふわっと立ち上ってくる感じはやっぱりシャマラン。


明日からは、ずっと楽しみにしていた「ムーンライトシャドウ」が公開されるので、うれしい。ゆくゆく公開されて見れたら、ゆっくり書こうと思いますが、この原作に何度癒され救われたか。覚えるほどたくさん読んだ作品です。

様々な観点から見る前からセンスが素敵だなあと思う、監督と配役、音楽だし、ポスター、パンフレットなども好きな人たちが携わっていて、ほんとに楽しみ。



もうひとつ映画繋がりの余談。

先日好きな俳優はキアヌリーブスだなと思い、描いてみた、というような趣旨の投稿をしたのですが(そしてひどい絵)





今度はなぜか好きな怪演シリーズ、というのをしみじみと考えた日があり。

まずは、やっぱりオーソドックスだけどシャイニングのジャックニコルソン。

そして羊たちの沈黙のアンソニーホプキンス。

スプリットやミスターガラスのジェームズマカヴォイも好き。だけれど、

その上で、今日の気分は、ケヴィンスパイシーだなと思い、

ユージュアルサスペクツを見た日がありました。

(同じく怪演をしてるセブンも思いついたけれどその時見れるほど元気はなかった。)

ユージュアルサスペクツ。最初見た時、冒頭からぼーっと見始めたらあれよあれよと、展開が進んでしまったので、これは頭使わないと見れないやつやん今日はだめな日だ、と気づいて、出直して見直した思い出。

ギミックのあるクライム映画として有名な映画なので、見たことがなくて見てみたい人は、ほんとに前情報なしで見るのがパンチがあっておすすめかも。よい映画です。


有名な5人並んでる奴がオーソドックスなのだろうけど、こんなおしゃれなポスターもあったのね。








ちらほらと書いていたことではあるのですが、現在ふたりいる妹のうちのひとりが仕事でアフリカに行っていて。

といってもスマホとインターネットがある現代、毎日のように小さなことで連絡を取り合ってはいるので、あまり日本にいるときとは変わらない気持ちで話せているのですが、仕事柄、次帰ってくるのは数年後になりそうで、そうかあ、と思いさみしい気持ちもありながら、同時に少しだけ未来のことを考えたのです。

その時にどんな世界になっているだろう、どんな自分になっているだろう、というようなこと。

考えても結局答えは風まかせ、なところが人生の醍醐味でもありますが、数年後いうところが、少しリアルに考えられる年数でもあり。漠然とどう転ぶかわからない不透明な未来を楽しみにする余白は残しつつ、具体的にしたいこと、叶えたいことを考えながら生きてみようという地に足についたような気持ちが、以前よりも自然と強くなってきました。

持っていなかったわけではないけど、わりとぼうっと生きてきたので、クリアに具体的に夢を持つ、ということに、新鮮味とおもしろさを感じたり。

夢って、何かに成りたい、という野望のような目標のようなものが、そう呼ばれがちだし、実際にそれもれっきとした夢なのだけど、本来はこんなふうに生きたい、細かくいうと、こんなふうに暮らしていきたい、というもので全然よいのでは、とよく思うのです。

たとえば犬を飼って暮らしたい、でもよいし、季節のたびに胸躍る洋服を買ったり纏ったりしながら生きたいでもよいし、細々と自炊を極めつつ、月に数度はおいしい外食を食べにいきたい、でもよいし。どんな人と居たいのか、もそう。

実際は生活する、ということが大部分の人生なのだから、どんなふうに暮らしたいかな、というのが少しでも見えたら、自分に似合う身の丈が見えてくるというか。そうしてやっと必要な人やお金や時間や、仕事などがわかってきて、だんだんと自分らしくシンプルに生きられたなら、たまに避けられない荒波が起きたとしても、おおよそ人は幸せな状態でいられるのではないかな、と思うのです。

地位や何者かというようなことは、あとから勝手についてくるもの、くらいに考えたほうが気が楽というか。

ついてこなかったとしても、まあこれでもいっか、くらいに思えて暮らせるなら上等だと思うのです、人生。

そしてそんな意味での夢を、いくつも抱えるのはそれこそ夢のあることなんじゃないかなあと。


経験が多くなるほど、一生懸命生きるほど、めいいっぱい膨らませたら、割れてしまうのではないか、と怖くなってしまう風船のような希望。

無理に膨らませなくては、という話ではなく、いつかは割れてしまうのでは、というその「いつか」にゴールを置くよりも、膨らませていくその過程こそが全てだと思えたら、目の前の一日をいい意味で適当に、力みすぎず楽しみながら過ごせるのかもしれません。


偉そうに書いておきながら、わたしも日々揺らぎまくりで、ちっぽけな自分の視野に振り回されることも多々ありまくりなのですが、

精進といったら胡散臭いけれど、こんなふうにあれこれ考えて、少しずつ学んでは修正して、バランスを変えて歩いてゆく、、そんな余白と猶予がまだまだある、ということは楽しいことだな、といつも思っています。


 

明日からもそんな気持ちで。

しみじみと歩いていきたい9月です。🐕





余談2。ともだちが作ってくれたお菓子たち。パウンドケーキと、アルファジョールという中南米のお菓子。

スコーンぽい生地にココナッツが練り込んであって、間にはキャラメルクリームがサンドされているのですが、すごくおいしい。

そしてこれが例のごとく大量にあるので、毎日食べるのに忙しい9月にもなりそうです。

しあわせ。😻





それでは!