Frequencies
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昨日は友人が西荻窪に引っ越したというので、西荻うまいものめぐりをしてきた。

まずそれいゆに始まり、紅茶とケーキが美味しいcafe grace、最後に孤独のグルメでも紹介されていたモロッコ料理のTam Tamに行ってきた。

それいゆに知り合いの子が働いているので、久しぶりに顔を出せたらいいなと思ったのだが、その子はおらず、西荻のジュエリーショップで働いている友人にそのことを伝えると、彼女が今お店にいるから良かったら遊びに来て、と連絡が来た。

友人と共に、そこに向かい、しばしお喋りに花が咲く。隣の花屋さんに入るとミツメが流れていて、口ずさみながら、また友達とお喋り。ずっとずーっと笑いながらお喋りをしていたと思う。

好きな音楽が流れるお店があったり、気の合う友達に会えたり、笑ったり、この普遍性と愛はパターソンだと思った。そしてそれが全部できるのが西荻なんだなあと思った。

当たり前だけど、すごく難しいんだよねこれって。だって、この感覚は本当に久しぶりだったから。

なんだか今まですがりついていたもののあれこれが全てどうでもよくなってしまった。

私はこれが心地良いのだなと思った。

もしかしたら幸せは西荻窪にあるんじゃないかと。

その日、口にしたものは全て美味しくて、友達が話す言葉は上辺じゃない本物で、すごくあったかかったのだ。

大事だなあ、と思った。人との繋がりとかそういうの。

Fallという雑貨屋さんでフランス製の紙お香が売っていたのも、すごく嬉しかった。

自分の好きに近い感覚なんだと思った。

そうだ、私は結局のところサブカルクソ女なんだな。

中央線に居心地の良さを感じちゃってるんだよ!!!!

 

1個前のブログ、結構絶望的じゃん。

過去の自分、朗報ですよ。

セブチという韓国のアイドルにはまりました。

もう素晴らしいので語らせていただきます。

メンバーは全員で13人いまして、ボーカルチーム、ヒップホップチーム、パフォーマンスチームに分かれています。

この子たちはプロデューサーや振付師が付いているわけではなく、作曲や振付、歌詞制作を自らで行なっています。もちろん編曲もします。

普通にすごくないですか?アイドルという立ち位置でこれらすべてをやるなんて今までになかったことだし、普通にレベルが高い。

ダンスは見ていて引き込まれるような熱量のあるものだし、本人たちのエネルギーがそこはかとなくすごい。

もうはまりすぎて通信量もオーバー気味。

ほんとにすごいアーティストが現れたな、と。

ぼくりりくんといいインターネット世代きてる。

色々新しくしていきましょう。

6月はいろんなことがありすぎて疲れた。青森にも念願やっと行けて、小さな夢が叶った。太宰の生家も見れたし。青森にはまた行きたい。次は寺山修司記念館かな。

夏が来て、また落ち込むことがあったり、気分は少しずつ下がってきて、夏に向かって憂鬱が進んでいる。ああ、暑いのが苦手だ、、

なんだかいろんなことに飽きがきている。感動もしなくなってきてるし毎日は退屈で淡々としている。好きなこともどうでもよくなってきている。もう全部簡略化して切り落としていきたい。

食事もなんだかだるいし、見たことない場所に行くことくらいかなあ、これから楽しいと思うことは。

 

またもや日が空いてしまいました。

たまに遊んだりして楽しい気分になっている。遊んでても楽しい気分にならなかったりする。人の影響が大きいね。

エッセイを読んでいるので読書のスピードが早く2日で4冊読み終わってしまった・・純文学ばかり読んでいたので読みやすさに読書も捗ってしまう。

Q-POT CAFEに行ってきたのだけど以前と自分の中の盛り上がりが違う。多分マカロンが美味しくなかったのが大きいのかも、フォトジュニックなものはもういいやとなってしまった。視覚的なものはもういいや、という気分。きっともう喫茶店に行くのもやめてしまうんじゃないかなあ。こうやってチェーンに流れていくんだね。街がどんどん利便性を求めてチェーンに流れていくのは自然だし、物つくりの伝統は廃れていくし、色んなものがなくなっていくのは自然なことだから別にいいんだけど。利便性も不便よりは優しさがあっていいじゃないねえ。所沢の商店街とかすごいよね、全部チェーンで構築されていて、住みやすいと思ってしまったよ。回転寿司みたいに注文はタッチパネルで、みたいなのがもっと増えるといいですね。

ディストピアだけど機械化していく未来がすごく楽しみです。

結構また日が空いた。

ぼくりりくんの人生=ゲーム説を読んで、人それぞれ好きなゲームが違うよな、それだったら人それぞれ違う人生を持つのは当たり前だ!と妙に納得してしまった。

というのも、私が好きなゲームはどうぶつの森、牧場物語などのんびりとした育成ゲームだからだ。それはのほほんとした暮らしを望むわけだ・・

バイオハザードが好きな人もいるし、RPGを好む人もいる。もちろん自分もRPGは好きだけど、格闘など技術を要するものは得意ではない。モンハンも全然弱い。男の子がいかにも好きそうなゲームはほとんど得意ではない。

あと運動神経の良し悪しで人の歩む人生も結構変わってくるんじゃないかな、と思ったりする。これは選択が大幅に変わってくるという意味で。でも運動神経って勉強と違って先天的なもので、備わってる人間が磨くことによって強くなるのだけど、運動音痴は何をやっても、持ってるものが違うので、何をやってもダメだ。運動音痴のせいで、選択の幅が狭まり、それによって付き合う人間も変わっていく。本人の努力とは違う別の場所でそういう事実があるのに、先天的な能力に感謝もせず、何も疑いなしに、努力が足りなかったからだ、と行いを怠ったことを責めるのは、間違っていると思う。どうしてこんなことを書いたのかというと、アスリートがする努力と、私たち一般の人がする努力の筋道があまりにも違いすぎるからだ。羽生選手に新社会人が色々とアドバイスを受けていたのだが、羽生選手は僕たちにはゴールがあるので、それに向かっていくだけです、と述べていた。プロである人たちは、先代達が築いて行った道に沿って、ひたすら練習という努力を重ねていくだけだが、私たちのような特別な能力を持っていない人間の道筋はもっと複雑で難しいものだと思う。プロは勝つための戦略を練って、体の負担をかける無駄な練習はしない。私たち無能はやりたくないことをやるという場面はしばし多い。これは無能ほど多いと思う。なのに、アスリートと同じように努力を強要するのは、間違っていると思う。

アスリートと一般人は全く別物なのに、その人達の言葉を美徳として、私たちに共有させるのは、全くの間違い。次元が違うのに、同じ箱に入れて、実践させるのはおかしい。

この違和感から、根性論や精神論が大っ嫌いなわけである。勝ちに行くには、努力ではなくて、そのための戦略でしかないのに。それをやるためには、効率を選んだっていいし、無駄なことをする必要はないのに、私たちは無駄に人を集め、一緒にやるのが好きな国民性がある。無駄とか関係なく。これからどんどん悪くなっていくのに、お手手繋いで歩きましょうとかは非常にだるい。