今年の秋は短いらしい。
せっかく一雨降って涼しくなったと思ったのに、相変わらず日中は暑い。
ただ、朝晩はずいぶん冷えるようになったし、風も乾いていて日陰に居ればまあ涼しい。
秋というにはなんだかちぐはぐな気がする。
・・・
妹が進行性の癌と診断されて切除手術を受けたのは2018年の8月のことだった。
その頃はまだ妹もわたしも東京で仕事をしていた。
東京で会ったことは一度もなかったけれど。お互い元気で暮らしているのだと思っていた。
手術の少し前に電話があって、癌になったこと、手術を受けること、手術は中野の警察病院でしてもらうことを聞いた。
母親には大騒ぎするから言うなよと言われたので、ああそう・・、と言葉通りに受け取った。
しばらく経って一度だけ病院にお見舞いに行ってみた。
とはいえ、、独り者、食べ物を持って行っても・・で、結局途中のコンビニでペットボトルのお茶を買い、買ったばかりのホルダーに入れて持って行った。それだけでは味気ないので、ちっちゃいアンパンマンのマスコットをつけて行った。
我ながらしょぼいチョイスだった・・・。
その後何度か電話で話をしたけれど、最後は会社を辞めて自宅に帰ることにしたと言った。
ちょうどコロナの時期とも重なっていた。
病後間もない状態で罹患すればイチコロだしね、手に力が入らないから買い物も全部ネットスーパーだしねえと言っていた。
しばらく自宅でゆっくりする、と。
自宅に帰る前後の話はよくわからない。
たぶん2020年のことだったと思う。
わたしはそれから約2年後に会社を辞めて自宅に帰った。
いざ会社を辞めて帰る段になって妹に帰ることにしたと連絡を入れた・・と、思う。
正直その頃のことはあまり記憶にない。
癌の手術を母に言うなと言われたときからなんとなくしっくりこない感じがあったけれど、帰ると連絡を入れたときにその不思議の正体がわかった。
「も~、はよ帰ってアレの面倒みてよ~、もう面倒見切れん!知らん!」
はい?なんじゃそれ・・?
妹は母と絶交していた😓。
いやいやいや・・歳の離れたわたしが蚊帳の外というのはよくあったけれど、母と妹は結構仲よかったじゃん・・?
トレンドに則って言えば「はて?」である。
わたしの知らないところで何かが起こったらしい・・。
よくわからぬままとりあえずわたしは東京から引き揚げた。
・・・
妹と母の絶交はそれからも続いて、口をきくこともなければ、出会うことも避ける始末。
結局2人は入院中も会うことはなかった。
明日は火葬という日に、葬儀屋さんが今日までならお顔を見れますよと言われたので母に伝えたけれど、母は来なかった。
時折それぞれから相手に対する不満を聞くことはあった。
で?(それがどうしてこうなる?)と言いたくなるような話もしこたまあった。
あったけど、それぞれの立ち位置で話すから、その場に居なかったわたしにはなんともし難い。
どこまでが事実でどこまでが自分が思っていることなのかがわからない。
亡くなる前に妹は実家の墓に入らないと言った。
入る入らないは個人の自由だと思っているから、<言葉通りに>わたしは別の墓を用意する。
どうしてこんなことになっているのか、ちょっとしたボタンの掛け違いや意地の張り合いのような気もしなくはない。
本当のところはいまだにわからないし、もうわかることもないね。
だから今は、妹と話したことを、自分でよしとすることを最後までちゃんとやる。
それだけだ・・・。
ただね、母のことが話題に上るたび、何気に気にしていたのを見ていたから気分は複雑だ。
もうなにも言うつもりはないけれど、母のことはたぶん大丈夫だ・・・心配すんな。