※注意
今回は特に私の考えが前面に押し出されています。嫌悪感を抱く方もいらっしゃるかもしれません。先に謝っておきます。
努力と聞くと皆様はどんなイメージを抱くでしょうか?
私は目標を持って努力できる人は素晴らしいと思いますし、そして難しいことだと思います。
物事がうまくいかずに嘆くと「努力もしないくせにおこがましい」などという罵声も聞くことがありますし”努力”という言葉は魔法みたいなもので相手への攻撃手段の一つになってるように感じます。
「それでは、皆様努力してすばらしい人間になりましょう!!」
…
ま、口だけなら簡単ですよね?言うだけですから私にだってできます。
努力…うーん、私の嫌いな言葉の一つですね。なんで"努力"とか"頑張り"というニュアンスとかが前面に押し出されてるのでしょうか。
正直、それって苦痛ですよ?
頑張らないと頑張らないと…と暗示させてプレッシャーかけて成功するんですか?
「努力しろ」と簡単には言えますけど努力をするために物事を成し遂げるわけではないですよね。物事を成し遂げるために、そしてその精度を上げたいがためにそこに努力という現象がその人に起こるんです。
努力(どりょく)とは、目標を実現するために、心 や身体 を使ってつとめること。(wikipediaより)
その人が実現させたいものがあることに対しての努力と周りから圧力を受けて始める努力では言葉は同じでも意味は異なってきます。
そして私の経験談からもうひとつ思ったことがあるんです。
本当に実現に向けて突き進んでたときは
「努力」という感覚なんてこれっぽっちもなかったんです。
目標のために突き進んでいる時は「これくらいの困難なんてあって当然」か「楽しい」のどちらかだったんです。たとえば好きなゲームがあるとします。そしたらクリアしようとしてステータスをあげたり、プレイスキルをあげたり…。そこに「勉強、練習、努力」という考えってありましたか?ただ単語を並べると皆様が嫌がる言葉たちです。ですが、なにかをクリアするという目標があればそんな単語が頭から消えていきます。本人がそれを"勉強"や"努力"だと認識せずに"勉強"や"努力"をしているから。そこに「俺(私)は練習した」という言葉は少しおかしくないですか?
「努力が報われなかった」「頑張りが足らなかった」確かに悔しいと思います。悲しいと思います。実際、力が及ばなかったことがあり悔し涙も流したことがあります。ですが、それを努力した結果だと思ってしまったら人間の心は簡単にポッキリと折れてしまいます。そうじゃないんです。そこに努力という言葉が使われてしまった時点でそれは「目標を達成しようとする行動」から「頑張らなくてはいけないという脅迫概念に駆られた行動」に成り下がってしまうと思うんです。「努力をすることができる」本当にすばらしいと思います。私はそんな方たちに勝つ事なんか絶対にできません。なぜなら努力をしてこなかったから。そして努力をするという意識すらしてこなかったから。ですが、本当に努力をしたことがない人なんてそんなに数が多いのでしょうか?
ネガティブに苦しむ皆様へ。
努力、頑張る、という言葉にいつの間にか縛られていないでしょうか?そしてうまくいかずに嘆き周囲からの心無い言葉で輝けるはずの心すらも折られてしまってないでしょうか?もったいないです。世の中の大体の人は勉強が嫌いな人ですよ、なんの不思議でもないし学生ならば尚更です。でも考え方を少し捻るだけで案外楽に進むものです。「努力をしてこなかった人間が…」「努力すらできないのに…」こういう人たちは努力の過程で起きる苦労に意味や価値を見出しています。「こんなに言われるなら俺(私)も努力しないと…」その時点でそんな努力なんか苦しいに決まってますよ。人間楽なほうへ楽なほうへ逃げたがりますよね、私もそうです。それなら努力も楽なほうへ楽なほうへ考えて生きていきませんか?「なんかいつの間にか努力ぽいことしてたわ」というよう感想が言えるようになったら肩が軽くなると思いますよ。「努力って言葉を使うのはかっこ悪い」それくらいの考え方で自分なりの道を開拓していきましょう
翌桧
