お部屋はいくつかのカテゴリに分かれていて、ねえねはスイートに当たる

ザ・ルームというお部屋をチョイスしました。他にはアパートメントタイプの

お部屋もあり、そちらは単価高いものの、

ファミリーで滞在できる仕様になっているため、お得感がありそうです。

日がな一日こちらのベランダで過ごしました。

 

 

ベランダといっても、部屋として使用して遜色ないリビングスペースです。

 

 

半屋外スペースになっており、庭の噴水の水の音や鳥の鳴き声を

聴きながら、本読むもよし、PC作業するもよし。

 

 

自由にお飲みくださいのコーヒー&ティーセットのコーヒーはバリコピです。

いろんな種類があるわけではないし、冷蔵庫のミネラルウォーターは有料。

無料のミネラルウォーターはピッチャーに入れてるもの。

そういうことからも高級ホテルではないのだけど、

カップも調度品も古い物を丁寧に綺麗に使い続けている、

そういう姿勢がホテルにもスパにも、随所に感じられます。

 

ではお部屋に入りましょう。

 

クィーンサイズのベッド。

 

 

 

 

1974年創業。その時から同じで何も変わってないはずです。

もちろん壁の塗り直しなどメンテナンスはしてるでしょうが、

デザインは一切変えていません。50年前のバリはまだ観光客が来ない

時代だったけど、それでも来る人っていう層はいたはずで、

そういう人達の郷愁が濃縮されたような空間です。

この壁の感じ、調度品の感じ、70年代まだホテルやレストランが

バリ島に数件しかなかった頃の思いっきり贅沢な造りだったのだと思います。

同じ頃営業のクタのコピポットやポピーズレストランもこういう建造です。

 

 

ベッドの上を見上げると、地蔵と目が合います。

 


 

 

箪笥も藁製(?)。こういう資材は湿気に弱いし、穴空いたりしたと思うんです。

だけど強くて丈夫な最新式の家具を置くのではなくて、わざわざ高い材料費を

使って昔のまま再現して直しながら使っています。

 

 

 

 

 

 

 

朝食付いてなくてこれで16000円は高いと思います。

アメニティも最小限、テレビもない。それでも価値を見出して

泊まりにくるリピーターがたくさんいて、そういう人達はバリに対する

思いや人生模様のようなものを、各々背負った人なんだと思います。

後程ちょっと触れます。

 

水回りを見てみましょう。

 

ドレッサー。

 

 

バスタブもないんです。まともな旅行者はもっとコスパよくて立地の良い

ホテルに泊まりたいでしょう。

 

 

 

 

お部屋全体はこんな感じでした。

お勧めホテルか?と言われれば人によりけりという返答です。

 

前の記事で「老夫婦がスタッフと抱き合って別れを惜しんでいた」

と書いたのだけど、旦那様がおそらくオランダ人、奥様はインドネシア人。

多分オランダに住んでいるのでしょう。70代以上くらいの年代の人、

オランダ人と結婚した人多かったんです。里帰りにしてももうその歳だと、

親兄弟もいないだろうし、実家もないでしょうね。そういう人が

実家に帰ってきたような感覚になれるホテルという

ことで、毎年定宿にしてるんだと思いました。

 

ねえねが初めてバリに来た頃、今のようにオシャレなホテルやカフェは

少なかったけど、それでも観光客はたくさん来てて、バリ島ブームのような

流れがあったようです(知らなかったんだけど)。

知らなかったというのは、私元々バリ島に来る予定なくて、ランカウイ島の

ツアーの人数が足りないから急遽バリ島に変更どうですか?って

旅行会社が言ってきたんですよね。そのランカウイ島ツアーも私は

メンバーではなくて、妹が申し込んでたんだけど、その中の一人が

行けなくなったので、私が頭数揃えるために声がかかったという経緯。

 

大学卒業後、就職してから実家住で家賃も食費もタダ、お給料は

全部お小遣いというふざけた生活をしてたので、いろんなところに

海外旅行行きまくってたんです。ヨーロッパが好きでバリ島に

興味なかったし、実際行ってみても特にバリ島に魅力を感じたわけでは

なかったのに、気が付けばバリに住んでる。初めてのバリ島旅行の時、

ダーは一会社員だったので、お互いの連絡先も知らずに帰りました。

連絡先も交換してないし、ネットもない時代、携帯電話もバリ島にようやく

普及し始めたけどまだまだ一般人は携帯持ってない、そんな時代に、

数ヶ月後に再会する出来事があったこと。住み始めてから

「もうこんなところ嫌だ」と荷物まとめて帰国のチケットの手配まで

してたのに、とある人から小耳に挟んだ情報でトントンとホテルに

就職決まったこと。そしてそのホテルでの出会いが、

今も続く大親友との出会いの場になったこと。

ホテルの経験が今の仕事に繋がったこと。

 

自分の意思と関係ないところで、人生シナリオが出来上がっていて、

それに身を任せてるだけなのかもしれないな~と思ったり。

90年代からの運命の導きに思いを馳せるのに最適なホテルでした。

ロビーで見かけた70年代に外国に渡ったインドネシア人女性(勝手に決めつけ笑)

と比べたら、まだまだ年季が浅いけど、ねえねもここの

顧客のメンバーにそろそろ入れる頃かな、と思いました。