僕たちが人間と呼ばれるにふさわしい知性を持ってから、今までに、どれほどたくさんの心の優れた人たちが「憎むな」と訴え続けただろう。なのに僕たちは、未だ憎むことを止めない。

こんなことを考えてみることがある。世界中の人々が1分間だけいっせいに、他人の幸福を心から願ってみる。もしそれが本当にできたなら、その瞬間に人間は生き物として、全く違う段階に至ることさえできるのではないかとすら思う。演説はいらない、何の駆け引きも必要ない。自分の心を少しの間だけ鎮めさえすればよい。馬鹿げた夢想かもしれないけれど、原理的には不可能ではない。でも恐らく、その1分が終わったら、残念ながら、どこからかまた悪意というものは滲みだしてきてしまうだろう。ただ、間違いなくその1分の間は、自分の外側にも内側にも憎悪というものが存在しない世界を、僕たちは体験できる。それは、世界が生きるに足るものかもしれないという望みを僕たちに抱かせるのに、充分な体験になるはずなのに、と思う。
大人になって気がついてみると、「退屈」というものを感じにくくなっていた。子供の頃、すべきこともなく時間が余っている状態には、耐え難い「退屈」を感じたものだった。それをなんとかまぎらわすために、手元にある素材 ― 道具があれば上等、場合によってはタイルの目や机の木目、遠くの木の枝ぶりだったりもする ― を使って、自分だけに通用するその場限りの勝手な遊びとそのルールを作り出し、その退屈をやりすごしたものだった。しかし今では、何もしないで、ただ寝ている、ぼうっとしているといった状態が、非常なぜいたくで、また快いものになっている。それでも人によって違いはあるだろうが、僕の場合、休日の陽あたりのよいベッドで、ひとり静かに横になっている(「寝ている」わけではない)などというのは、まさに至福の時間だ。これは、退化なのだろうか。僕は、怠惰になったということなのか。でも僕は、いつも新しい刺激に100%の大きな目を開いていた幼い自分にうらやましさを感じるけれど、静かな部屋で、陽光と、ゆっくり流れてゆく時間そのものを、ぜいたくと感じることのできる今の感覚をもまた、それはそれで、気に入っている。
僕は、音楽が好きである。そして、音楽に関することが言葉で語られること(語ること)こともまた、とても好む。なぜかと問われれば、難しい。しかし確かなのは、音楽作品をそれ自体のみから完全に理解する能力は、残念ながら僕には備わっておらず、音楽から受け取った感銘を言葉によって捉えなおすことで、ようやくその音楽が「僕のものになった」という感触を得ることができる、ということだ。

しかし同時に、そこには当然にある危険が伴う。言葉はその成り立ちからして、一般的な性質を持つものだ。ある音楽が「崇高な」とか、「心を打つ」と表現されたとしても、そのあり方は人それぞれの中で、全く同じではあり得ない。したがって、音楽についての文章を書くということは、音楽による感興という地金を言葉という型で打ち抜いてゆく、引き算の作業である側面を持つことを免れない。最も不幸なのは、その作業に自分の道具を用意することさえせず、他人の型によって造成された言葉の羅列と自分自身の感銘を、無批判に交換してしまうことだ。

一方で、音楽について語られた優れた言葉は、貧弱で限界の明らかな僕の感受性を押し広げ、その音楽のいっそう大きな意味を僕に教えてくれる。作家である竹西寛子の「バッハ礼讃」という短い文章は、そうしたなかで、僕が最も尊敬を感じるものの一つだ。残念ながら、あまり知られている文章とは言い難いと思われるので、一部を下記に引用したい。僕にとってもまた、バッハはとても大切な音楽だが、この文章は、僕にとっていつも模範であり、宝でもある。

「たとえばバッハは、私にとって大切な作曲家なのであるが、彼の音楽を聞いていておのずから喚起されるものの一つに、いつ終わるともしれない海鳴りのような律動がある。この律動は単純だが力強く、質朴だが威厳にみちており、心の深みに、静かに呼びかけるなにかなのである。私は思う。広い宇宙には、たとえばこの律動のように、絶えず人類に呼びかけている何かがあるにちがいない。精密機械の狂った歯車の音に気づくような耳をもっていなくてもよい。循環器の、あるかないかの異常音を聞き分けるほどの耳を持っていなくてもよい。難解な神学、深遠な哲理、高級な文学を理解することのできる卓抜な知性や完成を身につけていなくてもよい。人はある心の状態になりさえすれば、いつでもこの呼びかけを聞き、それに応えることができる。

弓弦を鳴らして獲物を追った者達は未開の原野に、暗い洞穴で抱き合った者達は固い土の枕に、それを聞いたであろう。遠いむかしからすでに在り、ひとときも絶えることなく今に及び、さらに在りつづけるであろうはずのもの。やがて地球に訪れる最後の朝にも、それはつつましく、そして相変わらず厳かに人類に呼びかけていることだろう。なぜなら、それは目に見えない何かの意志、たとえようもなく豊潤な、たとえようもなく巨大な意志を伝えるものであり、わずか一つのこの地球の底からではなく、未だ人類の確かめえないいくたの地、あるいはそれら未知のものすべてをおおいつくす混沌の深みから、波紋のように伝わってきているものであろうから。

しかし、この呼びかけが、人にはまったく聞こえなくなる時がある。その時、人の目は獣のそれのように光り、心は暗く裂け、親しい人達に毒液を煮立てることさえ恐れない。洪水が軒並みの家屋を押し流し、飢えや疫病で倒れた人々が往来に重なり、大地が砲声に震え、罪人が断頭台にのぼった時でさえ、あの呼びかけは絶えてはいなかったはずである。人々の裂けた心が縫い合わされ、乾いた砂地に静かにしみとおってゆく水のように、ふたたび迎えられる時もあろうかと、それは無償のいとなみを繰り返していたはずである。呼びかけが絶えていたのではない。聞こえなかっただけなのだ、と思う。

バッハの音楽を聞いたあと、どうしてもすぐ眠るというわけにはゆかなくなる。音楽の中には、自然に眠りを誘うようなものがあり、それはそれでよい音楽だと思う。しかしバッハの音楽は、私にとってそういう音楽ではないのである。一度は心をしずめられるけれども、やがて底のない深みに向かってか、見きわめのつかない高みに向かってか、思いを及ぼさずにはいられなくなる。私は、自分が、時々そうでもされなければならない人間だと思っているので、バッハがいっそう大切になる。」

(新潮社 「道づれのない旅」 収録)