僕たちが人間と呼ばれるにふさわしい知性を持ってから、今までに、どれほどたくさんの心の優れた人たちが「憎むな」と訴え続けただろう。なのに僕たちは、未だ憎むことを止めない。

こんなことを考えてみることがある。世界中の人々が1分間だけいっせいに、他人の幸福を心から願ってみる。もしそれが本当にできたなら、その瞬間に人間は生き物として、全く違う段階に至ることさえできるのではないかとすら思う。演説はいらない、何の駆け引きも必要ない。自分の心を少しの間だけ鎮めさえすればよい。馬鹿げた夢想かもしれないけれど、原理的には不可能ではない。でも恐らく、その1分が終わったら、残念ながら、どこからかまた悪意というものは滲みだしてきてしまうだろう。ただ、間違いなくその1分の間は、自分の外側にも内側にも憎悪というものが存在しない世界を、僕たちは体験できる。それは、世界が生きるに足るものかもしれないという望みを僕たちに抱かせるのに、充分な体験になるはずなのに、と思う。