大人になって気がついてみると、「退屈」というものを感じにくくなっていた。子供の頃、すべきこともなく時間が余っている状態には、耐え難い「退屈」を感じたものだった。それをなんとかまぎらわすために、手元にある素材 ― 道具があれば上等、場合によってはタイルの目や机の木目、遠くの木の枝ぶりだったりもする ― を使って、自分だけに通用するその場限りの勝手な遊びとそのルールを作り出し、その退屈をやりすごしたものだった。しかし今では、何もしないで、ただ寝ている、ぼうっとしているといった状態が、非常なぜいたくで、また快いものになっている。それでも人によって違いはあるだろうが、僕の場合、休日の陽あたりのよいベッドで、ひとり静かに横になっている(「寝ている」わけではない)などというのは、まさに至福の時間だ。これは、退化なのだろうか。僕は、怠惰になったということなのか。でも僕は、いつも新しい刺激に100%の大きな目を開いていた幼い自分にうらやましさを感じるけれど、静かな部屋で、陽光と、ゆっくり流れてゆく時間そのものを、ぜいたくと感じることのできる今の感覚をもまた、それはそれで、気に入っている。