7章 宇宙論と時間の矢


この章は、時間の流れという新しい論点が登場するため、かなり盛りだくさんである。簡潔にまとめたつもりだが、それでも長くなってしまった。少しでも読んでもらいやすくするため、見出しで区切ってみる。


1 この章のまとめ


はじめにこの章の内容をまとめてみると、次のようになるだろう。 すなわち、意識の中心に時間という感覚がある以上、意識には時間非対称の物理学が関係しているはずである。そして、時間非対称を示す物理学としては熱力学 の第2法則があるものの、その時間非対称性の根拠をつきつめると、ビッグバンにおける宇宙の異常な低エントロピー状態に行き着く。その異常な低エントロ ピー状態の理由を説明するには現在の物理理論では足りず、量子重力論と呼ばれる物理理論を構築する必要がある。


2 「時間」が意識の中心にある


この章の冒頭でペンローズは、人間の意識の中心にあるのが「時間の経過という感覚」であると指摘し、そこから、「時間」を基礎づける物理学の探求を始める。


前の第6章までが主として意識の計算可能性に関する議論だったので、本書も終盤にさしかかるこの第7章で、前置きなく時間の流れに関する議論が始まること に、読み手としてはやや唐突という印象も受ける。人間の意識の中心にあるのが「時間の経過という感覚」であること自体については、ほとんど議論もされない からである。著者が主張する意識の特質「計算不可能性」については、あんなに詳細な検討が展開されたというのに。


おそらく、人間の感性の形式として時間と空間の認識が最も純粋・根本的なものであるとの西洋哲学の古典的議論が既に前提としてあり、そのため論点の提示の仕方がややドグマティックになっているのかもしれないと思う。


3 物理学では時間は「流れない」?


さて、私達は、時間は過去から未来へ向けて一方向へしか流れない、と感じている。しかし、本書で既に紹介されてきた物理理論(ニュートンの法則、マクス ウェル方程式、アインシュタインの一般相対性理論、シュレーディンガー方程式等々)は、全て「時間対称」、すなわち、理論の中には、時間の流れを一方向に 限定する規則などないのである。にもかかわらず、現実には時間は一方向にしか流れていないように見える。これは、考えてみると非常に不思議なことである。

 

時間の流れについてわれわれが意識している感じと、(驚くほど正確な)理論が物理的世界の現実について主張していることとの間には、深刻な食い違いがある ように私には思える。この食い違いは、われわれの意識的な知覚の根底にあるはずだと想定されている物理学について、何か深遠なことを告げてくれているに相 違ない(344頁)

4 熱力学の第2法則とその起源


実は、時間非対称を持つといえる物理学がある。熱力学の第2法則といわれているもので、「孤立したシステムのエントロピーは時間とともに増大する」と主張する。


ではエントロピーとは何か。いろいろな説明の仕方があるようだが、本書でペンローズは、直感的な説明としてはエントロピーとは「ある系のあからさまな無秩 序の尺度」(349頁)であると述べている。その後、より厳密な説明の仕方として、一つの点があるシステムの物理的状態全体を表現しているような「位相空 間」において、マクロな性質の点で同等に見える状態をある区画に区分したとき、その区画の体積がエントロピーであると述べている(354頁)。


そう言われてもなかなかわかりにくい。私自身はひとまず、感覚的に「その物理状態の起こりやすさ」くらいにとらえて納得している。エントロピーが常に増大するとは、物理的な系は常により起こりやすい物理状態へ流れていく、という感覚だ。

 

「われわれはどうやら時間非対称的な結論を引き出したらしい。エントロピーは時間の正の方向に増大し、したがって、反転した時間方向に減少するはずであ る。この時間非対称性はどこから来たのか。われわれは確かに、時間非対称的な物理法則は何も持ち込んでいない。時間非対称性は系が非常に特殊な(すなわち 低エントロピーの)状態から出発したという事実に由来する。」(357頁) 「何がわれわれの世界のエントロピーを過去にそのように低く抑えたのか。エントロピーが不合理に低い状態が普通に存在しているのは、われわれの住んでいる 現実の宇宙の驚くべき事実である」(359頁)。

5 熱平衡なのに低エントロピー


では、宇宙の低エントロピーは何に由来しているのか。ペンローズは「途方もなく小さいエントロピーをもつ配置」である私たち人間から考察を始め、その低エ ントロピーの由来を、食物>植物>光合成(太陽光)とたどる。そして、ひとつの中間的な結論として、私たちの低エントロピーの由来は、宇宙の中における太 陽という、天体の温度不均衡の状態であり、それは結局、「太陽がそれ以前にあった(水素を主とする)気体の一様な分布から生じる重力収縮によって形成され た」ためであると説明する。


宇宙の初期状態は、希薄に拡散した気体だったと考えられる。これは放っておけば、いつか重力によってくっつき、塊になっていく。つまり、重力により凝集した状態がエントロピーが高く、拡散した気体のエントロピーは低いのである。

 

「われわれに低エントロピーの巨大な蓄えを提供したのは、この気体が拡散したものとして出発したという事実である。われわれは依然、この低エントロピーの 蓄えで食いつないでおり、これからも長い間そうし続けるだろう。われわれに第2法則を与えてくれたのは、この気体がもつ重力的に固まる可能性である。」 (364頁)。

この拡散した気体の状態を提供したのは、ビッグバンと言われる火の玉から出発した、原初の宇宙である。しかし、少し考えてみると、これはそう単純な問題で ないことに気づく。私達が知っている通常の物理状態では、ある物理的系が熱平衡状態になっているとき、そのエントロピーは最大となるはずである(冷たい水 と熱い水を混ぜると、当初は比重の違いから層が分かれるが、いずれ混ざって均一の温度になり、系のエントロピーはここで最大になる)。そして、ビッグバン はまさに宇宙全部が火の玉だったのだ。なのに、原初宇宙のエントロピーは最小であることを要求しているように見える。

これはどういうことなのか。


6 ビッグバンを束縛する条件 ― ワイル曲率仮説


ここで、本書において重要な概念が(5章に続き再び)登場する。四次元時空の湾曲を表す「リーマン曲率テンソル」を分割した「WEYL」と「RICCI」である。これはペンローズが説明を簡略化するために用いる記号で、実際には数式とのことだ。


一般に、特異点においてはWEYLは無限大となり、これは高いテントロピーと結びついている(ただし、その具体的結びつきは本書では説明されていない)。しかし、ビッグバンにおいてはWEYLはゼロとなることが分っており、これが低エントロピーをもたらしているという。


ペンローズは、WEYLがゼロの特異点がいかに特殊であるかを力説している。ビッグバンがこのような低エントロピーをもつ確率は、およそ「10の10乗の 123乗」分の1とのこと。この「10の10乗の123乗」はとてつもない数であって、「宇宙のすべての陽子とすべての中性子に1個ずつ0を書くことにし たとしても―さらにその他の粒子をすべて注ぎ込んだとしても―、必要な数字を書くにはお話にならないほど足りない」(390頁)ほどらしい。


ペンローズの考えは、ビッグバンにおけるこのような異常な組織化(低エントロピー)は、偶然には起こりえないのであって、WEYL=0 となるような束縛条件が存在したはずだ、というもの。ペンローズはこれを「ワイル曲率仮説」と名づけている。


したがって、時間の流れ、ひいては意識を支配する物理学を解明するには、このような束縛条件を含む物理理論―ペンローズによればそれは量子重力論―を構築する必要がある、というのが著者の主張であり、この章の結論だ。

6章 量子マジックと量子ミステリー


1 はじめに


第5章は古典的物理学のダイジェストだった。そしてこの第6章は、量子論のダイジェストである。そしておそらく、前章よりも本章の方がペンローズの主張にとってより重要である。なぜならペンローズは、意識の特質である計算不可能性の在り処について、量子論に狙いを定めているからだ。

「もし古典的世界が意識をその一部になしえないようなものであるとすれば、われわれの心は何らかの仕方で、古典物理学からの特殊なずれに依存しているはずである。」(257頁)。

本章はコンパクトながら、量子論について多くの話題を扱っている。新書の啓蒙書だったら独立した1冊で扱うべきといっていいほどの内容で、しかも、著者自身も「私はごまかしをしないように努めたので、多少、しっかり取り組まなくてはならないだろう」(259頁)というくらいなので、私も分るまで何回も読み返した。量子論に全く親しみがない状態で本章を読むのは少し無理がある気がする。一般向けの啓蒙書がたくさん出ている分野なので、本章がわかりにくい場合はそうした他の本も参照してみることをおすすめする。


2 量子論について


量子論は驚異的な正確さと実用性を有し、現在の自然科学と科学技術にとって欠くことのできない基礎となっているにもかかわらず、その内容は、人間の感覚からすると非常に奇妙で、未だ解決されていない多くの重大な謎を含んでいるように見える。

例えば量子論が導く現象の一部を書いてみると、次のようなものがある。


・物質は波であると同時に粒子である(これは決して、粒子が集まって波のように振舞うということではない)。
・エネルギーは、ごく小さな尺度においては、不連続で飛び飛びの値しかとることのできない。
・物質の在り方は、複数の異なる物理状態が重ねあわされた状態であり、私達が観測できるのは、そのうち一つが確率的に選択された結果にすぎない。
・物質は、人間が観測しているか否かでその振舞いを変える。
・複数の物質が時空の制限を受けずに相関する。


驚くべきことに、これらは現実に観測結果とも一致しているのだ。特に私自身は、物理状態が人間の観測に依存するという「観測問題」は、にわかには信じ難い。しかし、事実なのである(有名な二重スリットの実験)。


これはまったく個人的な話になるが、私が高校生の頃、「アインシュタインロマン」という全8回のドキュメンタリー番組がNHKスペシャルとして放映された。その第3回「光と闇の迷宮」中で量子論が紹介されており、それを観て、量子論で説明される数々の神秘的な現象に感銘を受けた。それもきっかけになって大学では理系(化学科)に進んだ。本当は物理をやりかたったが、物理が好きなわりに数学があまり得意でなく、あきらめたのだ。結局私は化学すら放棄し、科学者にはなれなかった。


3 本章の読み方


さて、本章の大部分は、意識の問題に直接かかわるわけではない。したがって、前章と同じく、量子論についての著者による素晴らしい解説と思って読めばそれでよいと思う。場合によっては、他の本のもっとわかりやすい説明で置き換えて理解してもよい。

その中で、意識に関するペンローズの主張と関連するため、次章に進む前に確認しておくべきは次のような点だ。


(1) 量子論による粒子の振舞いは、全部が非決定論的であるのではなく、系が量子レベルに留まっている限り、完全に決定論的に発展する。この過程をU(ユニタリ発展)といい、シュレーディンガー方程式に支配される。


(2) 重ね合わせられた量子状態が古典レベルに拡大され、量子状態の違いが直接知覚できるようになると、過程R(「状態ベクトルの収縮」あるいは「波動関数の崩壊」)によって量子状態の中のたった一つが物理的経験の現実として生き残る。非決定論が量子論に入りこむのはここであり、ここだけである。


(3) 現在の量子論では、Rがいつ、なぜ起こるのかを説明できない。


物理学の中で非決定論が入り込むのはこの量子論における過程Rだけであるなら、意識の仕組みはこの過程Rに関係するはずだ。したがって、意識を解明するには過程Rを説明できる新たな物理理論が必要になる、というのがペンローズの主張だ。したがって、次にはこの新たな物理学の手がかりを探すことになる。


4 補足―EPR型思考実験


ところで、本章では、物理的に遠く隔たった複数の物質が相互に影響を与える、物質の非局所性という点について、EPR(アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン)型の思考実験というものが紹介されている。本文では分りにくいが、他の本によると、当初アインシュタインらは、これをパラドクスとして提案したそうだ。


つまり、量子論に基づけば、Pの量子状態は、十分な時間的・空間的隔たりがあるにもかかわらず、先に観測されたEのスピンとは常に反対向きのスピンになるはすだ。そんな物質間のテレパシーのようなものがあるわけないのだから、量子論には誤りが含まれている、という趣旨だったというのだ。確かに常識的に考えれば、いかにもそんなことは起こりそうもなく、そうした結論を導く量子論を批判するのも無理はない気がする。


論文が書かれた1935年当時は実験によってそれを確かめるのは技術的に不可能だった。しかし後年、まさにこのような実験が行われ、結果はEPR型思考実験が量子論によって予測したものと一致したという。つまり、遠く隔てられた地点で先に観測された一方の結果が、もう一方の物理状態を(光速の限界をも超えて)決定しているらしいのだ。本当に、驚くべきことだ。


アインシュタインらが量子論に対する攻撃として提出した予測が、結局はまさに量子論の正しさを証明することになったわけである。



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「法廷は、提出された限られた事実から真実と正義を求めていくしかない。これは決してすべての事実ではないし、実体的正義ではないのだ。裁判での“真実と正義”は、所詮その程度のものでしかない。人間の営みとしては、なるほど工夫され、間違いが少ないようにはなっているが、決して“絶対”ではない。おおよそのところはこの人間の英知の結果を信じるしかないのだが、しかし、果たして、人一人の生命を奪うに足る“真実と正義”かとなると、私には、それは違う、 としか言えない。」