人間はせつないものだ、しかし、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらか すか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようと思い込もうとし、体当たり、遁走、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、もろもろの思想というものがそこから生まれ育ってきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそのこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。

私がこのサイトを開設したのは、2004年の10月だった。そのころは確か、ようやくブログが流行し始めたころで、ツイッターのようなサービスなどまだ想像もできないころだったと思う。


私がサイトを作った理由は、ここで私が書いてきたような内容を話し合える友人が欲しかったためだ。実際の人付き合いの中では、芸術や、人の生死について、 大真面目に話し合うなんて、なかなかできない。そういうことに本当に興味のある人は少数だし、たとえいたとしても、現実に面と向かってそういう話をするの はかなり気恥ずかしい。


サイトに文章を書いていれば、文字を通じてそうした人に出会えるのではないか。残念ながら、その淡い期待は全くといってよいほど実現しなかった。メールを下さった方はほんの数人いたけれど、それもそのとき限りのやりとりで終わってしまった。逆に、既に知り合っている友人がサイトの内容を見て、こんなこと考えてたんだねと、話のネタにしてくれたことはしばしばあったけれど。


ネット上で人と出会うのは、本当に難しい。待っているだけでは誰ともつながらないのは現実と同じだが、自分で行動して友人を見つけるには、ネットはあまりに広すぎると感じる。


それに、ネットが普及して私が思い知らされたのは、多くの人がどんなにか言葉と文字をひどいやり方で扱っているかという事実だった。友人を探したくても、ネットに関する検索技術は、そのサイトの文章がどれほど真剣に書かれたものであるかまでは評価付けしてくれない。


だから私の話し相手は相変わらず、ごくごく少数の友人と、他人が書いた本と、自分のノートのままだ。
仕方がないとはいえ、少し寂しい。

私はあまり詩がわからない。外国の詩はそもそも外国語ができないのだからわからないのは当たり前としても、日本語の詩がわからないことには、昔から少なからず劣等感のようなものがある。

和歌や俳諧なら、それでもだいぶわかる。近現代詩がだめなのだ。萩原朔太郎や宮沢賢治の作品には本当にいいと思うものがいくつかあったりもするが、それでも一部で、大部分は何が書かれているのかわからない。

図書館に行って、適当にあたりをつけていろんな詩集を借りてくるのだが、やっぱりよくわからずに全部読みきれず、がっかりすることの方が多い。


そこで先日「繰り返し読みたい日本の名詩100」(彩図社文芸部編集)という本を借りてみた。自分とが理解できる詩人をこれで見つけようというのである。

その中で、村野四郎という人の「花を持った人」という詩が、いいなと思った。とても短い詩だ。


 

くらい鉄の塀が
何処までもつづいていたが
ひとところ狭い空隙(すきま)があいていた
そこから 誰か
出ていったやつがあるらしい

そのあたりに

たくさん花がこぼれている


どんな人なのだろうと少し調べてみたら、卒業式定番の合唱曲「巣立ちの歌」の作詞者でもある人だった。ああ、そうだったのかとなんだか納得した。


私はこの歌がとても好きで、小学校3年生のとき、出席した6年生の卒業式で歌われているのを聴いてからいっぺんに好きになったのだった。音楽の授業で先生 に「何が歌いたい?」と尋ねられて「巣立ちの歌!」と答えたところ「みんなにはまだ早すぎるね」といって歌わせてもらえなかったことを覚えている。
「花の色 雲の影」「過ぎし日の窓に残して」というところが、とても好きである。曲も本当にいい。今でも大好きな曲。


こうしてみると、趣味や好みというのは子どものころから今まであまり変わっていないのだなあと、不思議な感じがする。