いまジャレド・ダイアモンドのベストセラー『銃・病原菌・鉄』(上・下)を読んでいます。
よくノア・ハラリの『サピエンス全史』と並んで出てくるので、前から読んでみたかったのです。
とても長いうえに『サピエンス全史』のように読者の興味を煽るような書き方ではないので、読むのは少し骨が折れます。
本自体の感想は読み終わったら詳しく書くとして・・・
『サピエンス全史』を読んだときも感じたのですが、「人類」(=人間)は、私たち「ホモ・サピエンス」だけではなかった、という事実には、やはり衝撃を受けます(学問の世界ではずっと以前から自明だったのだとは思いますが)。
私たちが普段「人間」というときは、何の疑問もなく「ホモ・サピエンス」の意味でいいますが、歴史的には、人間はホモ・サピエンスだけではなく、他にもネアンデルタール人やホモ・エレクトゥスといった人類が存在していました。
それらの人々のことは、確かに中学校の歴史でも習ったはずでした。
ただ、そのときは、そうした人々はなんとなく「人間以前」の存在として、進化の通過点のような感覚でとらえていました。
正直、たぶん教師もあまり深く考えていなかったと思います。
でも実際には、それらの人々はホモ・サピエンスの祖先ではなく、別の種の人間でした。
特にネアンデルタール人は火を使い衣服を作り、芸術的感覚も持ったれっきとした「人間」であったのに、同時代に生きたホモ・サピエンス(私たち)との競争に敗れ絶滅した、というのは衝撃的です。
私たちホモ・サピエンスの歴史のなかでも、滅んでしまった文明や民族があるのは知っています。
でも、(当たり前ですが)人間自体が滅んだことはありませんでした。
だから、私たちも人間という種自体が滅ぶことは、理屈としてはいつかはそうなるのだとわかっていても、現実の未来として想像することはほぼありません。
でも、こうして歴史を知ると、ホモ・サピエンスなんて、生まれてまだほんの数万年。
ネアンデルタール人は数十万年存在した末に滅んだのですから、ホモ・サピエンスだって絶滅することは当然ありうる。
ネアンデルタール人は私たちとほぼ同じ心を持っていたとしたら、最後の一人であった人は、どのような心境だったのでしょうか。
もし彼らも何らかの信仰を持っていたのだとしたら、彼らの運命をその信仰のなかでどのようにとらえたのでしょうか。
そんなことを思うと、現在の人間の宗教や哲学は、ホモ・サピエンスのほんの一瞬の時間のうえでしか意味を持ちえない、とても作り物めいたものに感じてしまいます。