戦艦大和ノ最期(吉田満著)~苦しみの純度 | 今日も花曇り

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終戦直前の1945年3月、学徒動員による21歳の士官として戦艦大和に搭乗し、海上特攻の絶望的な戦闘の中で死を免れた著者による体験の記録です。極めて簡潔なカタカナ文語体で書かれています。


著者は1945年の終戦直後、この作品の初稿をほぼ一晩で書き上げたそうです。

 

当初GHQは検閲により、この作品の出版を禁じました。しかし作品の価値を認めた小林秀雄が、終戦連絡中央事務局員だった白州次郎に、出版ができるようになるようGHQとの交渉を頼みに行ったとのこと。これが白州と小林を結びつけたきっかけだったそうで、以来二人には終生親しい交流がありました。ちなみに小林に白州を紹介したのは河上徹太郎でした。


私がこの作品を知ったのは、白州関連の本で上のようなエピソードを読んだからでした。

 

とても短い作品です。

初稿から決定稿とされるものまで複数の稿がありますが、決定稿でも文庫版で約160ページしかありません。初稿はさらに短く、読んだ感じは決定稿の3分の1くらい。しかし、この作品から受け取る感銘や疑問は広く深く、切実で複雑なので、にわかに消化してしまうことができません。

 

私がこれまで読んできたいろんな本の中で、このような作品はほかにありませんでした。小説とはいえないし、ノンフィクションやドキュメンタリーという言葉でも違和感があります。第三者としての後付けの分析や論評は、この作品から最も遠いところにあるからだと思います。


とても抑制的な文章なのに、簡潔に描かれた一つ一つの事実が読み手の心に焼き付けられるのは、戦闘というものの異常な照度によるのでしょうか。


もしも純文学が、人間と世界の関係をできる限り純粋に描き出そうとするものだと仮にいえるなら、この作品は純文学というほかないと思います。
当初、これは戦争肯定の文学であり、軍国精神鼓吹の小説であるとの批判がかなり強く行われたとのことです。
著者自身も、この作品には軍人魂とか、日本人の矜持とかを強調する表現が少なからず含まれていることを認めています。
そのうえで、昭和27年7月、初版あとがきにこう書いています。


「戦歿学生の手記などをよむと、はげしい戦争憎悪が専らとり上げられているが、このような編集方針は、一つの先入主にとらわれていると思う。戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反撥しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか。(中略)このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、招集を忌避して、死刑に処せらるべきだったのか。或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲すべきであったのか。――戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。」


「しかしただ、その時のままの姿を批判をまじえずに扱ったことに対しては、いつの日か、私自身の批判を以てその裏打ちをしなければならない責任を感じている。」


戦争に関する方向の異なるほとんどあらゆる意見を、確かに、この作品から引き出すことができるでしょう。GHQが出版を禁じたのは理由がないことではなかったと思います。著者自身は次のように書いています。


「科学と技術の粋は非合理きわまる精神主義と同居し、最も崇高なるべきものは最も愚劣なるものの中に埋没することによって、ようやくその存在を許された。巨艦の最期に殉じた戦士のなかのある人々は、この悲劇の象徴するものを直感していた。そこで一つの価値が崩壊したあとに、何が生まれてくるかをむなしく渇望しながら、その時代の日本人の典型にふさわしく、彼らは職責の完遂に精魂を傾けたのである。」(『鎮魂戦艦大和』(講談社版)あとがき)


職責の完遂という点は、私がこの作品を読んで一番強く衝撃を受けたことのひとつです。搭乗した各員が命を顧みずに配置を守ろうとした様子は、壮烈で胸を打たれますが、やはり異常でもあります。

 

苦痛や恐怖に打ち勝って命令を遂行することは、人間の強さを表わすのだとは思いますが、それならば、そもそも苦痛や恐怖を感じない、機械に最も近い人間が最高の兵士というほかないと思います。

機械でない人間がそれを行う努力をすることの悲愴さに、私たちは崇高さを感じるのかもしれませんが、そうすると、人間であることを必要としないのがやはり戦闘の本質だと、この本を読んで思いました。

 

もう一つ強く感じたのが、その戦闘という経験の異常さです。
例えば、私たちは生きる中で、他人が兵器を持って自分を殺すために殺到するということはまず経験し得ません。自分の命を守るための行動を許されないこともありません。

 

「量ノ圧倒的優勢ハ、本艦ノ精敏ヲモッテスルモ、カク避雷ヲ絶望トナセリ
マサニ天空、四周ヨリ閃々迫リ来ル火ノ「槍ブスマ」ナリ」

 

次の個所は、いまこの時まで共に動いて働いていた戦友が、一瞬で肉片に変わり果てた場面です。

 

「大斧ニテ竹筒ヲ叩キワッタル如キサマナリ 直撃弾、斜メニ深ク抉リ込ミ撃発シタルカ
整備ニ整備ヲ重ネ今日ノ決戦ニ備エ来シ兵器、四散シテ残骸ヲ認メズ 部品ノ残滓スラナシ
一切ヲ吹キ掃ワレタルカト見レバ、朽チシ壁ノ腰ニ叩キツケラレタル肉塊、一抱エ大ノ紅キ肉樽アリ
四肢、首等ノ突出物ヲモガレタル胴体ナラン
アタリニ弾カレタル四箇ヲ認メ、抱エキテワガ前ニ置ク
焦ゲタル爛肉ニ、点々軍装ノ破布ラシキ「カーキー」色ノモノ附着ス 脂臭紛々
ソコニ首、手足ガ附ケ根ノ位置ヲ確カメ得ザルハ言ウモ更ナリ
四箇ノ死屍ノ間ニ、判別ヲ定メ難キトハ
抱ケバ芯焼ケテナオ熱ク、コレヲ撫ズレバ手触リ粗木ノ肌ノ如シ
数分前マデココニ活躍シタル戦友、部下ノ肉体トコノ肉塊ト、同体ニシテタダ時ヲ隔テタルニ過ギズトハ
如何ニシテ信ジ得ベキ
ココニ宿リシ四箇ノ生命ハ今何処
他ノ八名ハ飛散シテ屍臭スラ漂ワズ
何タル空漠カ
今ノ瞬時マデマサニ現前セル実在ハ、如何ナル帰趨ヲ遂ゲシゾ
疑イ訝シミテヤマズ
悲憤ニ非ズ 恐怖ニ非ズ タダ不審ニ堪エズ 肉塊ヲマサグリツツ忘我寸刻」

 

そして次は、艦の傾斜を回復させるため、多くの兵がまさに働いている機械室に注水する場面です。それは直ちに、数百の仲間を溺死させることを意味します。


「防禦総指揮官(副長兼務)、緊急注水ヲ決意
全力運転中ノ機械室、罐室――機関科員ノ配置ナリ
コレマデ炎熱、噪音トタタカイ、終始黙々ト艦ヲ走ラセキタリシ彼ラ 戦況ヲ窺ウ由モナキ艦底ニ屏息シ、全身汗ト油ニマミレ、会話連絡スベテ手先信号ニ頼ル
海水「ポンプ」所掌ノ応急科員、サスガニ躊躇
「急ゲ」ワレ電話一本ニテ指揮所ヲ督促
非常退避ノ「ブザー」モ、遅キニ失シタルカ
当直機関科員、海水奔入ノ瞬時、飛沫ノ一滴トナッテクダケ散ル
彼ラソノ一瞬、何モ見ズ何モ聞カズ、タダ一塊トナリテ溶ケ、渦流トナリテ飛散シタルベシ
沸キ立ツ水圧ノ猛威
数百ノ生命、辛クモ艦ノ傾斜ヲアガナウ」

 

大和の戦闘中の出来事の100分の1でも私たちの日常の中で起こったら、人生を破壊されてしまうでしょう。それがたった2時間のうちに凝縮して起こってしまう。いったい、このような経験をした人間が、その後生きていけるのでしょうか。

でも実際に、著者はその後も日本銀行の幹部にまでなり、56年の生涯を生きました。

 

著者の他の作品を読むと、著者の思索はどこまでも、自身と、死んでいった者も含めた自身の世代にとっての戦争の意味を問い続けることにあったようです。その突き詰め方は徹底しているので、私が抱く疑問や感想は、ほとんど著者自身により検討し尽くされてしまっています。著者の議論は、極めて精確で明晰です。

 

小林秀雄は、この作品を知った当時、著者のことを「ダイヤモンドのような眼をした男だ」と評したといいます。そのエピソードを知った時は、純粋で輝くような眼をした若者、という意味かと思っていました。

しかし本書を読んでみると、そうではなくて、小林秀雄は、著者の異常に澄んだ硬質の知性を指してそう言ったのだと思うようになりました。

 

また、あとがきにあった次の文章からは、全く別の、あまり考えたこともない問題を指摘された気がしました。

 

「戦争と自分とを重ね合わせたまま、戦闘の各場面が求める角度でそれを切り取ろうとした切り口から、文語体、片仮名、そして多弁を控え行間の余白に多くを語ろうとする語り口が、必然的に生まれた。この手記をまとめることを思いたったとき、二年間にわたる不毛の戦塵生活からのがれてきたばかりの弱冠二十二歳の私が、曲がりになりにもこの筆馴れない文体と修辞をもって全編を貫きえたことを、戦前の行きとどいた国語教育の賜物として感謝したい。」


この作品の生命の一部は、確かに文語のリズムの中にもあるというべきです。

いま、私たちはあえて文語で作品を創作することはもうないでしょう。この作品を読んだあとでは、それを生み出し得た文語という財産を丸ごと捨て去ってしまったことが、取り返しのつかない損失だという気がしてきます。


また、私たちが文語を自由に読めなくなったことで、日本の古典や戦前の文章を読みこなすことが非常に困難になってしまいました。日本人が、自国の歴史というものに異常に無頓着な理由のひとつにさえなっているのではないかと思います。

このあとがきを読むまで、戦後の教育が、文語と呼ばれる文体を捨てた理由も、それが日本人の教養に対して与えた影響も、私は考えたこともありませんでした。

 

この作品の存在も、ここで描かれたような出来事があったことも、私は今まで知りませんでした。いつも、こうした作品や事実を知るたびに、自分は何も知らないのだということを改めて思い知らされます。

 

もし自分の人生に大きな影響を与えた本をいくつかあげるとするなら、この本は間違いなくその一冊です。