「神の火」(高村薫 著) | 今日も花曇り

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昨年は高村薫の作品をよく読みました。



きっかけは、図書館で偶然目にした「冷血」でした。ノンフィクションのような体裁で書かれた本書はカポーティの同名小説の本歌取りですが、これが素晴らしかったのです。



ここから「太陽を曳く馬」、「新リア王」、「晴子情歌」と福澤家シリーズを遡り、今回は初期の「神の火」を読みました。



「神の火」とは、原子力のこと。ソ連の元スパイだった主人公が、ある動機から日本の原発を襲撃するテロを実行するというあら筋です。



こう書くとなんだか安っぽい感じがしてしまいますが、全くそんなことはありません。全編とおして、作家の想像力の凄まじさに圧倒されます。



圧巻はやはり終盤の原発襲撃の場面。島田と日野の計画をそのとおりなぞったら本当に原発テロが実行できるのではと読み手に思わせるほどの迫力で、分刻みで時刻を示しながら短い文章を積み重ね、二人の異常な高揚と緊迫感を共有させるその「書く技術」が、本当にすごい。デビュー作「黄金を抱いて翔べ」が、まさにそれで成功した作品でしたが・・・それにしても、一体どういう取材をすれば原発のことをこれほど詳細に描写できるのでしょうか。他の作品でもいつも思うのですが。



繊細に描かれる主人公(島田)の心情にも泣かされます。高村さんのすごいところは、そうした描写が、スパイもの、サスペンスでも、ストーリーの添え物ではないこと。「照柿」や「晴子情歌」は、作家の資質から必然に生まれたと言えそうです。



「マークスの山」などと同じく、「神の火」も単行本から文庫になる際に全面的に改稿され、読んだ印象が大きく異なるものになりました。文庫の方が、島田の心理がより細やかに描かれている一方、日野の凶暴さが強調され、それが物語の締めくくられ方をも変えています。



どちらがよいか、好みは分かれるかもしれません。文庫版の方が間違いなくブラッシュアップされているものの、結末含め、いっそう暗く悲劇的という感じがします。

迷いますが、私は単行本の方が好きかな・・・。日野、ベティさん、江口とのつながりくらいは、せめて島田に残してあげたい。



作者は、例え動機がどんなものであっても、テロという暴力が不幸しか生まないことをはっきりさせたかったのだと思います。



それにしても、この小説のどの情景も、なんと寒そうなこと。「照柿」では暑さそのものが主人公だったとすれば、この作品では寒さそのものが主人公です。音海の雪が、次には福澤家シリーズの青森の雪につながっていく感じがしました。



長々書いておきながら何ですが、「神の火」は高村作品の中で、本当は私にとって本命というわけではありません。本当はやっぱり「晴子情歌」以降の作品が好きなのですが、おいそれと感想を書ける気がしないため、ひとまず本書について書きました。



それでも、好きな作品であることにはかわりありません。そのうち、(きっとこの作品を読んだ人は皆そうだと思うのですが)ボトルごと凍らせたトロリとしたウォッカを飲んでみたいと思っています。