沖縄1日目(既に帰りたい)とブログのフォロワー数の話 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

早く目が覚めてしまったので呟いてみよう。

ブログのフォロワーについて。

俺のブログには150名程度のフォロワーさんがいらっしゃるようだ。

“いいね”やコメントも閉じていることから判るように、

現代の象徴と言える“承認欲求”という言葉に無関心な俺にとって、申し訳無いがフォロワー数なんてどうでも良い話なのだ。

このブログのフォロワー数を見ていると、150~160を上下している。

だから俺の中では意外にも150名は“フォロワーさん”なのだなと認識している。

こんなブログなのに見ている方がいるなんて申し訳ない気持ちだ。



ずっと上下を繰り返している残りの10名はと言うと、

自称心理師とかメンタルコーチを名乗りながらフォローした数日後には解除、そして再び登録を繰り返す糞野郎共だ。

ここから判るように、ブログ等でメンタルコーチを名乗っている奴らはゴミが非常に多い。

という話だ。

うーん、あくまでも俺の主観だけど俺のように実際に精神が病み、精神科に入院したり依存症になったり、逮捕されたりと、

で、

そこから回復途上に入ったりと、

その道のりって結構大変だし、今まで沢山の人を見てきたが、やっぱり殆んどの人に辿れる道筋では無い部分を歩いてきて思うのは、

人は経験したことしか解らないし、例え解ったところで他人は変えられない(救えない)と言うのがここ10年の俺の結論。

自分が辿った道というより、他人がこうして辿れなかった道こそが、そのままというか他人の役にたつ部分なのだと感じるが、

確かに“変わる切っ掛け”を与えることは出来るのだけど、それってその人の“気付き”の方が大切であり、俺が相手を変えられた訳じゃない。

俺も回復過程に入れたのは勿論、師匠や心理師さんなど影響を与えてくれた人はいるけど、

やっぱり落ちるところまで落ちて『変わりたい』と心の底から思えて、ブレない俺がいたのが大きかったと思う。

色々と自分の経験に照らし合わせると、落ちるところまで落ちれたから気付けた部分てあるから、

それなりの家庭環境や、ましてやネット上で自分の経歴を堂々と語って商売を試みるような恵まれた人達が俺と同じ位置まで落ちれたかと言うと、それはちょっと甘すぎる話じゃないかな?と感じる。

そもそも宣伝目的でフォローしては消えていくような人間性の人には信用も憧れも持てないしね(いや、むしろそうなりたくない例)。

俺は自分の強みを考えると、やっぱりとことん落ちた事だと思うし、そこ(底)から見えた景色と、そこ(底)から這い上がって(這い上がる過程)経験したことだから、やっぱりあなた達とは違うと思う。

この世の全ては表裏一体だから、愚かで極悪な俺と、その裏と言うか表の振れ幅、

極悪も、はたまた極善も、特に重要な自分の不足部分であったり弱さや悪と言った人が目を背ける部分を見つめ続けたことは、俺にとって本当に有難い経験だった。

たまに書くが、俺は人と接する時に外見を殆んど見ない。

“皮膚”だと思っており、外見という概念すら無いのかも知れない。

俺が見るのはその人の内面というか、背景であり、もしかすると俺と話すことを怖がる人も多いのかもしれない。



「見えてますよ」



うん。

見えてます。

頭が下がります。



と言うわけで、今から数時間後、わざわざ沖縄まで来て、また汚い自分と向き合います。

今ね、ギャンブル依存症の人が俺を兄と呼び、必死に食らい付いて頑張ってくれているけどさ、

勉強させて貰っているのは俺の方だよ。

俺が“コーチ”ではなく、あんたが俺の先生であり、俺を支えて助けてくれてるんだ。



さて、そんな沖縄1日目の記録(ついでなので)。


那覇空港に着いて『デケェ~』とビックリしながら歩いていたら“千葉県警察”が那覇空港を管理してた。

おい、沖縄、仕事しろ。

おい、千葉、帰れ。


沖縄空港は想像の5倍は大きかったし、沖縄って想像以上に観光地なのだと感じた。

が、俺にとって何も興味を惹かない。


同行者全てが親くらいの人達なので俺は運転手で美ら海水族館へ。

俺は魚は食べるのも見るのも興味が無いが、これが団体行動の宿命だ。

あえて一言言えば、遠方に来て水族館へ行くのは非常にナンセンスな話。

何故なら、水族館は何処にでもあり、何処も大きくは変わらないから、わざわざ遠方に来て行く場所ではない。

俺的には自然を見たかったけど、この日は美ら海水族館の往復で終わり。

因みに俺は障がい者手帳3級持ちなので入館料は無料(でも見たくない)。


うひょー、馬鹿共がいっぱいいるぜー。


沖縄って台湾に似てるよね。

近いもんね。

そして韓国、中国からの観光客も多く、車で走っていてもレンタカーの方が多いのでは無いか?と感じる。


あー、疲れたん。

大雨を予想してたけど、殆んど曇りに助けられたと言っても暑い!と言うより湿度がヤバい。

汗かきには本当に辛くて、更に沖縄が嫌いになった。


泊まるホテルは繁華街で色んな人が俺に声を掛けてくる。

が、お酒も女性も、俺がこの世で最も関わりたくないトップ3に見事ランクインしているので笑顔でスルーする。

笑顔と言えばやっぱり沖縄の人は顔が違う、というか、フィリピン、ベトナム、インドとか?働いている人多すぎ。

俺は喋り方も顔も沖縄系らしいので、昨日も道を訪ねれたわ。

知るか。


夕飯を食べようと街を歩くも、いや、もう少しでも歩きたくないくらい湿度がヤバいから、早く帰ろう。


沖縄料理屋に入って、システムが解らんで、料理も解らんでオロオロしてたら店員のおばちゃんが急かして来たので、

「隣の人と同じのを…」

と言ったら、沖縄そば無しで出てきた。

麺好きの俺としてはとても不全感の残る結果となったので、遠くのスーパーまで歩き、2日間過ごすことになる宿に飲み物を買い込み、

ヤケコーラして寝ました。

沖縄に来たのは30年前、小学生のときの少年の船以来。

その前は俺がまだお腹にいる時かな。

『何処かここら辺に住んでいたのかな?』とか考えながら沖縄を見ていました。

散々な家庭で親父の親父から↑は調べても残っていないのだけど、昔親父が「自分の先祖は琉球の城に遣えていた」と言っていたらしく、

ならもっとまともな家庭は作れなかったのか?とも言いたくなるけど、意外と依存症の世界にはそうしたお堅い社会的には認められるような家庭で過ごした人が多いので、

やっぱり俺の顔のルーツは沖縄なのかな?と思っている所でした。


籠の中の鳥。

水槽の中の魚。

外に繋がれた犬。

親の人生のやり直しを背負う子供。

家庭という箱の中で行われている惨劇。



俺はコイツらを見ると凄く心が痛いし、

昨日も鹿児島空港で見掛けた戦闘機の展示や、親父から聞かされた開聞岳の戦争に纏わる話(飛行機で上空を飛んだ)、

そして、沖縄という戦争の悲劇の地に来て、

幼い頃から親父から戦争に行って死ぬことを求められ拷問を受けていた俺にとって、

やっぱり凄く嫌な感じが、胸元がモヤモヤと、

まだまだヘドロが溜まっているんだなと感じます。

戦争の被害者はこうして今も存在しているし、

こうして世代間連鎖しているのです。

これを書きながらも凄く胸がモヤモヤしている。


コイツらも元気かなー?