人の輪のなかで回復 神奈川研修 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

昨日から会議で関東に来てます(日曜日の話)。


久し振りの飛行機。


宮崎空港を飛び立ち、見送ってくれたビーニャさんを上空から見つめる。


今回は残念ながら太平洋側の席なので四国も富士山も見えず。

四国側の窓際がキャンセルで取れる瞬間もあったのだけど、今回は単独行動ではないのでその人との会話を優先した。


結局、羽田空港の旋回が始まる千葉までは、


ずっと海。


着陸が近くなると、コイツ何て言ったっけ、忘れたわ、が見えた。(追記東京湾アクアラインやわ)

以前の俺は不安から飛行機が全く駄目な人間だった。

ビーニャさんと出会ってから飛行機に乗る機会も増え、まだビーニャさんのことが好きだった頃に、

『この人となら墜落して死んでもいい』と思ってたらいつの間にか克服してた。

今でも完全に克服した訳ではないが、現実を見るようにしている。

目の前にいる客室乗務員達は毎日のように飛行機に乗っているわけだ。

つまりは、そうそう事故はおきないということだ。



依存症者の一番深い部分には“不安”の沼が泥々と蓄積している。

それを落ち着かせるために病的嗜癖が必要なのだ。

その沼はこの世に誕生して幼い頃に見てきた世界によって作られる。

突然親が酔って暴れるような世界を見て生き残った者達は、何に対しても、生きることすら不安なのだ。

安心の無い家庭(つまりこの世)。

だから飛行機も他人も何もかも信じれない。

車の運転すら自分以外が行うと、見えないブレーキを一生懸命踏み続ける。



だから何だ!?



そんな自分からは卒業しよう。

そんな自分からは成長しよう。

そんな場所に身を置いて11年。

俺は今いるこの人達の和の中で回復していきたいと、昨日からずっと感じている。

似たような家庭環境で過ごし、

その経験が自分の人生に大きな影響を与え苦しんでいる、

が、

そこから回復したいと思える人達、

具体的に行動を起こし続ける人達の和の中で、

俺は癒され、練習を重ねて行くのだろう。

ネガティブなことだとしても、

受け入れがたい事実に直面しても、

見方を変えれば、それは自分や現状を知る貴重なヒント。

それを受け入れるか、否認するかはその人次第だけど、

蓋をしたところで自然消滅してくれないものは沢山存在する。

その1つがトラウマ(PTSD)であり、親に対する怒りや不満である。



ここから書く文章はその翌日に追記した分に変わって、


一泊二日間のとてもハードな会議や研修だった。

緊張のあまり、出発の日もこの日も午前3時まで全く寝付くことが出来ず辛い2日間となったが、得るものは多かった。


やはり現実を直視すれば、宮崎という地方の閉ざされた知識は大きく遅れており、

自分の“普通(育った環境から得たもの)”に疑問を持てた奇跡や幸運のように、

今、自分が置かれた環境にも疑問を持つことは重要だと思う。

俺が師匠達から教えてもらい、引き継いだことも大切だけど、

長い歴史のなか、只でさえ不安定な依存症者達の集まる環境が本質からズレて行くのは当然の話で、

俺が約12年前に、まるで孵化した小鳥が目の前にいるものを親と思うように何の疑いもなく『これが自助グループだ』と思い込んでいたものを今一度、

自分の目で、

自分の行動で、

確認することはとても大切なことだと感じている。



幾つか本を読み始めて見ると既にその歪みを感じられ、

ただ分かち合う場

になってしまっているのも否めないのが現状。

ガス抜きのように、溜まったものを小出しにする意味では無駄ではなく、むしろ有効であるが、

ネガティブな物が溜まるダムから水を小出しに出し続けたところで、根本を変える行動を起こさない限りは水はいつまでも貯まり続けるのだ。

それならいっそのこと、限界を超えたダムが木っ端微塵に崩壊して、根本から一度考え直した方が良い。

AAという自助グループの本を読んでみても、

“ステップを踏んだ”とは書いてあるが、

“ステップを分かち合った”とは書いていない。

今、俺の身の周りで起きていることと言えば、

ただ言いっぱなしの聞きっぱなしで“分かち合う”だけでそこからの進展は無く、ただの“欲吐き場”なのが現状だと感じている。

悩みを分かち合うのならば、悩みとはその先に行動がセットされるものだ。

会場まで足を運ぶことが行動と言われたら確かにそうでもあるが、

行動が伴わない以上は“たられば”の欲であり、

本心では行動までは起こしたくない自分であったり(めんどくさいとか、変化を恐れる自分)、

悩んでいるつもりの自分を憐れむことに依存していたりと、

例え自分が嗜癖していたアルコール等の物質を断ったところで“自己否定”という依存症の根っ子は何も変わっていないのだ。

鬱は自分虐めの依存症と言う人もいるが、その一部なのだろう。

俺はそれが嫌だからこうして神奈川に足を運んだり(本当に大変な一泊二日だった…)、来週もまた沖縄へと旅立つ。

今回、足を運んだことによって知識や経験を得たと同時に、鳥取県へと新たな行動のお誘いも受けることになった。

その結果なのだろうが、こうして自宅へ戻ってきてもまだ余韻は残り、沢山の仲間の顔が浮かび癒されている。

俺は本当にこの人達と共に回復して、共に活動をしていきたい、そう強く感じた研修でした。

その裏では、俺が腐れ縁として関わっている組織の総会も行われており、こちらの方は心の底からそう思えない場所なのだけど(だから総会より神奈川へ)、

研修の最中、


こちらはこちらで忙しいことに。

勿論、自分の希望はどうあれ、先人達から与えて貰ったことに対する義理もあり、

それと同時に、俺が今回の研修で感じた“この人達と一緒に回復したい”自分の腐った人間性の治療や成長、回復の一環として、

“自分に出来ることは行う(無関心はやめる)”という戒めなのか、そんなものもあると感じ、

俺の返事は、


という軽い返事となった。

仲間達から元気と勇気を貰い、神奈川県相模原市を後にすると強まる雨。

羽田空港に着く頃にはどしゃ降りとなっており、飛行機も離陸待ちとなった。

幸い窓際の席にキャンセルが出て座席を変更したものの、夜景は全くと言っていいほど見えず、


楽しみにしていた四国上空…。

宮崎空港へ向けて高度を下げ始めたことにより雲の下には出たけど、

安芸や奈半利がうっすら見えたかと思うと高知市も微かに見える程度。

宮崎空港へ向けてかなり高度が下がった足摺岬は見ることができたが、21時前なので夜景を頼りに輪郭を(四万十市、宿毛市)目でなぞる程度。



迎えに来てくれていたビーニャさんと色々話ながら自宅へ返り爆睡。

そして、早速の仕事です。



今回、本当に得たものが大きかった。

勿論、これからの俺の行動によって別れる人も出てくるだろうけど、それはそれでいい。

俺は人間に対するトラウマにより本当に人が苦手だ。

しかし、人の輪(和)のなかで回復をとても感じた研修でした。