セローのマスターシリンダー交換ハンドルるん | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

一年くらい乗る気力が起きず2台も処分した生き残りのバイク、セロー225。

この子も確か1997年のバイクなのであちこちどころか全身がボロくて、それがまた乗る気力を奪う原因に。

実は1ヶ月ほど前に久し振りにバイクを見るとマスターシリンダーからオイルが漏れてたので、余ってた材料で修理したところ、やっぱり漏れ始め駄目でした。

その時にバイク愛が復活してしまい、バイクの保険も復帰させてしまったので、修理しないわけにはいけなくなり先日、材料を注文したわけです。

とは言っても俺は自分で何かを修理したり作ったりすることは大嫌いであります。

その割にはよくそんなことをしているのですが、これもまた昔の後遺症とでもいうのでしょうか、

先日のカウンセリングでの一幕。

心理師「引きこもっていた頃を今思い出してどう感じますか?」

俺「自分にとってはとても大切な安らぎの時間で、今でもあの頃に戻りたいと思いますし、決して無駄だとか否定は出来ませんね」



そうなるには、そうなる原因(必然)あってのことで、

その人にとって、その場所が地球上で一番安全であり、一番リラックスできるからそうなっている訳であり、

そこに土足で踏み込んできて、

「自立しろ!しっかりしろ!働け!」とは、どれ程無知のなせる技なのだろうと今とても感じております。

あの頃、俺はどうすることも出来ない状況なのに、

「どうにかしろ!」と無理難題を突きつけられ、それが更に悪循環となり、

あの頃の「金!金!金!」と親兄弟に責立てられた経験がこうして、

出来る限りのことは自分で行い生活コストを下げるに行き着いているわけです。



結局、言ってる人達の本心を見抜いてみると、

「私は嫌な思いをしても働いているんだから、お前も苦労しろ」

と言う自己主張と、自分で解決して欲しい問題であって、

その人の言う「◯◯(大抵親)を守る」は、自分の主張を正当化する材料なんですけどね。


ああ…、

やりたくない。

しかし、重い腰を上げましょう。

情報を調べ、材料を取り寄せ、


今回、故障したのはこのブレーキフルード(オイルではないけどそんなイメージの物)が入っているマスターシリンダーと言う部分です。

確認窓からフルード漏れがあり、窓のみ取り寄せ二回修理しても長くは持ちませんので適合を調べて新品を注文しましょう。


折角なので、錆び錆びでいつか変えたかったハンドルバーもこの際変えることにしました。

でないと、二度手間になりますもんね。


取り寄せたマスターシリンダーがこちら。

俺の乗るセロー225のマスターシリンダーは13,000円ほどするので、

約半額のセロー250税込み約7,500円のを取り付けることにしました。

それにしても1,000円くらい値上がりしたような…。


ハンドルバーは純正か迷ったけど、1,000円ほどプラスして人気そうなメーカー品を選びました。


他に、こうした錆びてるネジを変えるために注文してます。


作業をやり出すまでが遅いもので、やり出したら無言で黙々としてしまう。

そして、色んな道具を使うのが楽しくなってくる。

こうしてボルトを外そうとしても、下の黒い箱にラチェットが当たってボルトが外せない時は、


こんなエクステンションバーを間に挟んで、


首を長くすれば問題ない。

このバー(KTC)だけで千円を超える高価な物だが、いい道具を触っているとそれだけで気分が良くなる。


他にも、テールランプの土台のゴム製パッキンが割れてるから、


それも交換して(約1,000円)、

こうして古いバイクを少しずつ直していくのも悪くはないと思っている(凄く面倒だけど)。



もう一度言うと、俺はこうした作業は嫌いです。

ただ、人にやってもらうと修理費が凄く高くつくんです。


その後はメインであるハンドル周りの分解を済ませ、


新しいハンドルを装着後に角度とか調整して、


いよいよマスターシリンダーをハンドルに付け替える作業へと進んで行きます。

と、

今日はここまで作業をして、久し振りの慣れない作業に酷く疲れてしまい、明日に持ち越すことに。


実は少し前にこうした錆びたボルトをあちこち付け替えたり、

前のオーナーから買った時から曲がっていたブレーキバーを交換したり、少しずつ整備していってます。

タイヤもそろそろなんですが、現時点で既に約25,000円ほど使っており、

自分でDIYしたところで、こうして結構金が飛んでいってしまいます。

しかし、引きこもりで染み付いた“自分でやる”癖と、

断酒して出来るようになった“慎重な作業”のより、

出来る作業も増えてきたり、道具も結構揃ってきて、いつかは趣味の1つとなっていくのでしょうね。

以前なら色々ブログにこうした整備記録を残してましたが、それすら気が向かなくなってますが、

そのうちまた元気になることでしょう。




心理師「老後にしてみたいことはありますか?」



俺「出来る限り働いていたいです」



俺が老後も働きたいと思える理由は引きこもりで働けなかった経験によるものであり、

貯蓄出来なかった埋め合わせと、

働けないことによる、人間への悪影響と言うものを、あの苦しかった頃に嫌ってほど味わったからである。

“定年アル中”という言葉にもあるように、

それまでの人生で、自分自身と深く向き合ってこなかった代償もあるし、

俺は“自由”とは、皆が思っている“自由”とは程遠く、不自由だと痛感した。

自分が身を置ける場所は本当に大切で、引退後にそれがあると信じこむのはとても危険。

只でさえ、長年の会社勤めで人間性に歪みが生じているのだから。